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「いわき時空散走」8月リサーチ

8月21日(月)

16時~19時:「植田・佐糠・金山エリアリサーチ」

『佐糠落雁』の句碑の前で佇む
プロジェクトメンバー

参加者:5名(陸奥・寺澤・藤城・井上・正木)
・前回までのリサーチをもとに、陸奥さんが取りまとめてくれた、マップ素材を持ちながら、コースの試走を実施。夕暮れ時に走ってみたのが初めてだったこともあり、夕暮れ時ならではの光景を味わうことができた。

・夕焼けに染まる鮫川の美しさに見惚れながら、ふと振り返ると、勿来八景の碑と、佐糠落雁の句。そしてその向こうには勿来火力発電所が佇んでいる。よく氾濫したという川、そして江戸時代に花ひらいた文化、そして誘致された火力発電所。これらがぐるりと見渡す風景の中に存在している不思議さに、圧倒される心地になった。その土地に眠る物語を拾い上げながらその土地に触れていくことと、自転車ならではの体感で風景を味わうこと。この二つのバランスが整ってきた感触を得た。

・そこから勿来火力専用線の廃線跡を辿って出羽神社まで。そして最後の難所である、金山エリアの坂道を懸念していたが、ペースを一定にして、ギアを軽くしながら、を気をつけて走り頂上までしっかり走ることができた。
・普段自転車に乗らない人でも楽しめるマップになるよう、サイクリストではない、わたしたちが実際に走り、距離感や坂道、交通量などを確認してコースを作っていく。

8月22日(火)

9時~12時:「小川郷エリアリサーチ」

一緒に走ってくれた櫛田啓子さん

参加者:7名(陸奥・寺澤・藤城・井上・松本・櫛田・草野)
・小川郷にて生まれ育った櫛田啓子さんと草野さんと一緒にマップを回り、小川郷での思い出話を聞きながら、自転車での試走を実施した。

・櫛田啓子さんは小川郷の偉人、櫛田民蔵の縁戚にあたる方で、民蔵の妻であったフキとも不思議な縁で繋がっている方で、いわきでさくらんぼの保育園を立ち上げ、現在は芽吹きの原保育園を営まれており、生涯をかけて保育に関わり続けている。

・草野さんは櫛田さんの同級生で、生まれも育ちも小川郷。長らく消防の仕事に携わられた後は、草野心平記念文学館でも働かれていたことがあるようだ。

・地域の歴史やポイントを巡りながら、その土地での生活文化について話を交わしながら実施していく、「いわき時空散走」の趣旨を説明したあとで、自転車で走り始めると、お二人からはたくさんのお話が飛び交った。そこに昔あった駄菓子屋や、病院、タバコ屋、そこにいた女主人の佇まい。文献を当たっても出てこない情報や思い出話がとても面白く、ありありと2人の思い出の中の情景が目に浮かび、その時代に生きてなくとも当時の景色が浮かび上がってくるようだった。

・最後に芽吹きの原保育園まで帰ってきて、歓談していると、これまた小川郷出身の偉人である、白井遠平の縁戚にあたる方がさまざまな資料を持っているというお話になり、次回の10月のリサーチ時にその方にお話を聞くことを約束し解散。

・地域の方と走ると、見えなかったものがどんどん見えてくる。そして地域の方でも知らなかったものにまた出会う。そんな営みを繰り返しながら、地域の方が地域に出会い、地域で活動する人と出会い、自分のふるさとのことがより一層大切に思えるような、そんなプロジェクトを目指していきたい。

19時〜22時:「陸奥さんを囲んで話す会!part3」

参加者:10名程度
・改めて、「いわき時空散走」のプロジェクト概要を説明した後で、今回のリサーチで出会ったものや、今までのリサーチを経てわからなかった部分(佐糠の「古川権左衛門」さんについてなど)について、参加者も交えて話し合っていった。リサーチについて話していたらいつの間にか、正月にお祝いで捧げる魚の地域性の違いについて話が移っていき、さらにはお雑煮の地域性の違いについても話が及んだ。

8月23日(水)

10時~15時:「赤井エリアリサーチ」

参加者:5名(陸奥・寺澤・藤城・井上・大森)
・新エリアの「赤井」をリサーチ。磐越東線の赤井駅に集合。赤井に住んでいる、大森さんと一緒に赤井エリアのリサーチを実施。駅前周辺~「女の一生」の碑~常勝院~北諏訪神社~南部赤井諏訪神社~赤井公民館~平窪公民館などを巡ったのち、愛谷の堰を見つける。

・愛谷江筋を作ったのは、小川江筋を起工した、澤村勘兵衛(さわむら・かんべえ)の指揮下で従事していた三森治右衛門(みもり・じうえもん)。小川江筋事業においても数々の難所を乗り越えて、工事を成功させた立役者であった。

・愛谷江筋の改修の際に建てられた大きな碑が川の近くの森のようになっている場所の中にあり、この碑の奥には、水神様が祀られており、愛谷江筋を眺めているように佇んでいた。

水神様

・さらに道路向かいに何やら木の柱のようなものを見つけて近づいていくと、「凱旋門」の文字が。日露戦争が終結した明治38年に当時の赤井村と好間村の境に建立されたそう。ヒノキで作られ、高さ4.5m。当時門柱の間にはアーチが掲げられていたという。建立された門では、親類や村人たちが小旗を降って帰還した兵士を出迎え、無事の帰還を祝ったと伝えられている。

・今回のリサーチでは、何度も夏井川をわたり、赤井周辺と平窪周辺を行き来した。マップは二つのエリアを行きかう形になるのではないかと予想される。


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