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『いわき時空散走フェスティバル23』植田・佐糠・金山ツアー

11月23日 (木) から26日 (日) にかけて、『いわき時空散走フェスティバル』が開催され、5月からリサーチを重ねてきた3つのエリア(植田・佐糠・金山、小川郷、大野・玉山)のマップお披露目とツアーが実施されました!

『いわき時空散走フェスティバル23』スケジュール

  • 11月23日(木) 植田・佐糠・金山ツアー

  • 11月24日(金) いわき時空散走マップを囲んで語る会

  • 11月25日(土) 小川郷ツアー

  • 11月26日(日) 大野・玉山ツアー

  • 11月23日(木) 植田・佐糠・金山ツアー

『いわき時空散走フェスティバル』の内容を、各日程ごとにレポートしていきます!

鮫川の河川敷を自転車で走っている
鮫川河川敷沿いをサイクリング

『いわき時空散走フェスティバル』初日は、植田・佐糠・金山エリアを巡りました。今回一緒に植田・佐糠・金山を巡ってくれた ”いわき時空散走サポーター” は、正木里奈さんです!

正木さんは、佐糠生まれ佐糠育ち。大学進学、就職で一度いわきを離れるも、退職を機にいわきにUターンしました。そんな正木さんが生まれ育った佐糠町を中心に、ツアーが実施されました!

『いわき時空散走サポーター』の正木里奈さんが笑っている写真
植田・佐糠・金山エリア『いわき時空散走サポーター』正木里奈さん

ー 植田駅から出発!

今回の植田・佐糠・金山ツアーでは、植田駅がスタート・ゴールとなっています。

みなさんは、植田駅を利用したことはありますか…?

今回のツアーでは初めて植田駅に来たという参加者もいました!車で植田の方まで買い物などで来ることがあっても、駅に来る機会は地元の方でも少ないようです。実は、いわき時空散走メンバーもリサーチをするまで、ほぼ全員が植田駅を使ったことがありませんでした!

そして参加者全員が植田駅に集合し、ツアーがスタート!まず初めに植田・佐糠・金山エリアのマップを配り、『いわき時空散走』について説明をした後、参加者の皆さんと自己紹介を行いました。参加者の中には、小学生のお子さん連れの親子が2組!自分の自転車で参加してくれました!

配られた植田・佐糠・金山エリアのマップを眺めている様子
植田・佐糠・金山エリアのマップ
小学生のお子さんとお父さんが自転車で植田駅に来たところ
家から植田駅まで自転車で来た親子

ヘルメットを被っていざ出発!と自転車に乗りたいところですが…最初のスポットは植田駅にいる『うえっち・あゆみん』

うえだ商店会のマスコットキャラクターうえっち、あゆみんの看板 電気装飾が取れかけている
うえだ商店会マスコットキャラクター「うえっちとあゆみん」

うえだ商店会のマスコットキャラクターなのですが、リサーチしても分からなかった疑問点がひとつ、うえっち・あゆみんの輪郭の線がどの画像を見てもブルーベリーのような青色なのです。なぜ黒ではなく、あえて青色なのか!?

ツアー参加者の中にも知っている人はいませんでした。ましてやうえっち・あゆみんを初めて見た人がほとんど!植田駅にいるのでぜひ皆さん探してみてくださいね。

そしてうえっち・あゆみんに見送られながら、ついに自転車に乗り出発!14台の自転車がぞろぞろと隊列を組んで走り出します。

今回の『いわき時空散走フェスティバル』のツアーでは、なるべく車の交通量が少ない自転車が走りやすい道を選び、また、普段サイクリングツアーガイドなどを行っている小野陽洋(おの・あきひろ)さんに交通誘導をサポートいただき、大人数のツアーでしたが無事安全に走行することができました!

ー 吉田松陰が来た宿場町!?

そして次に一同が到着した場所は、NTT東日本・勿来電話交換所。参加者の皆さんも、なぜここ…?という表情。実はここが平藩の植田陣屋跡なのです!

江戸時代、植田は平藩の宿場町でした。そして陣屋と呼ばれる代官所の役割をする場所が、この付近にあったそうです。ここで配られたのが、昔の植田町商店街の案内図。リサーチで、陣屋跡近くにある伊勢谷商店さんにお話を伺った際に、壁に飾ってあるのを発見しました!

明治時代の植田町商工案内図

その案内図を見ながら知っているお店を見つけたり、こんなお店があったんだ!と、今の街の景色と比べて楽しんでいる様子でした!

また、その地図に載っている『古川酒造』で生まれたのが、佐糠町にある火力発電所を誘致した古川傅一さんです。古川酒造があった場所は、今はセブンイレブンになっていました。そんな歴史を頭の片隅に置き、火力発電所を眺めながら走っていきます!

そして次に止まったのは、吉田松陰来訪の碑。実は、吉田松陰が江戸から会津に向かう途中で植田に泊まっているとのこと!「平にも小名浜にも来ていないけど、植田には来たんです!」と、サポーターの正木さんが自慢げに話してくれました!

吉田松陰来訪の碑

ー 鮫川河川敷での出会い

ここから、鮫川河川敷の方へ走っていきます!この河川敷が、川と、山と、勿来火力と景色が素晴らしく自転車で走るのがとても気持ちいい道でした。鮫川河川敷公園では、子供達が遊んでいたり、おじいちゃんらがゲートボールをしていたり、犬の散歩をしていたり。年齢問わず地域の方たちの憩いの場になっているんだなと感じました。

そんな素敵な鮫川河川敷公園ですが、公園になる前は狸や狐、野鳥が数多く見られた荒野だったそうです。公園整備で野焼きを行い、動物たちは逃げていきましたが、1匹の狸だけがそこを動かず焼死したといいます。その慰霊碑として建てられたのが、続いてのスポット狸塚

狸塚を囲んで話している様子

元市議で鮫川水系河川改修促進協議会の会長を務めた間宮俊彦さんが建てたそうです。

逃げなかった狸はこの場所を守りたかったのかな、ボスだったんじゃないか、などとその時の光景を想像しながらみんなで話していました。狸塚を囲んで話していると、ゲートボールをしていたおじいちゃんたちがなんだなんだと興味深々な様子で寄ってくる場面も。

ツアー参加者だけでなく、ツアー中に出会う地域の方々とも会話が生まれ、自分たちの暮らす地域や自転車に興味を持つきっかけになれたらいいなと思います。

そして次のスポットに向かおうとした時、サポーターの正木さんが自転車に乗った小学生たちに話しかけました。

「私たちこれから駄菓子屋に行くんだけど、一緒に行かない?」
少年たちからは、「いいよ!じゃまた駄菓子屋集合で!」と応答が。

河川敷で出会った少年たち

そして駄菓子屋に到着し、少年たちとも合流!駄菓子屋には自転車が少年たちのものも含め20台ほどずらりと並びます。

ツアー参加者の小学生2人もここの駄菓子屋には何度も来たことがあるとのこと。もちろん正木さんも子供の頃はよく来ていたそうです。ツアー参加者の大人たちも、「懐かしい~!」「やっぱりこれ!」とそれぞれ好きなお菓子を選んで購入!やはり、大人になってもワクワクさせてくれる場所ですね。

駄菓子屋でお菓子を選んでいる大人たち

駄菓子屋の外には、机と椅子が並べてあり、少年たちは普段からそこで駄菓子のくじを開けたりして遊んでいるそう。

すると帰り際に、少年の1人が正木さんに「これあげる!」とくじで当てた小さいオレンジ色のスーパーボールを渡しました。「え、いいの!?ありがとう~!」と、正木さんも笑顔でほっこり。

駄菓子屋はいつの時代だって子供達のたまり場。地域にずっと在り続けてほしい存在ですね。

お菓子のくじを楽しむ少年

ー 正木さんの実家でピクニック

そして買った駄菓子を持って向かった先は…なんと正木さんの実家!佐糠にある正木さんの実家の庭にお邪魔して、みんなで駄菓子ピクニックをしました!

また、庭で採れた柿をいただいたり、しゃぼん玉で遊んだり。この日はとても気持ちの良い天気で、広いお庭でまったり休憩しました。

駄菓子屋で買ったシャボン玉
お父さんに柿をいただきました

この佐糠のお家は、正木さんのお母さんの実家で、この日もお母さんにお話を伺うことができました。

正木さんの実家は、昔商店を営んでおり、火力発電所の従業員の方たちが仕事帰りに一杯飲んだり、たくさんの人がに立ち寄っていく場所だったそうです。

そして、正木さんのお母さんがおもむろに家から持ってきた、とある湯吞み。

正木さんの祖母は火力発電所で勤めており、当時の皇太子妃で現在の上皇后様である美智子様にお茶を出した時の湯呑みだそうです!

「ええ!それはすごい!」と参加者の皆さんも驚いていました。

美智子様にお茶を出した時の湯呑み。白地に紺色の縦じま模様。蓋が付いている。
美智子様にお茶を出した時の湯吞み

徐々に夕暮れ時に近づいてきて、正木さんのご両親に見送られながら次のスポットへ。正木さんの実家のすぐ近くにある佐糠薬師堂に来ました。

ー 徹底された廃仏毀釈

ツアーでは薬師堂の中を見ることはできませんでしたが、リサーチで佐糠公民館に伺った時に薬師堂の管理人の方に繋いでいただき、薬師堂の中を見せてもらいました。中の光景が衝撃的で、顔面が切り落とされた仏像や、黒く塗りつぶされた位牌など。その時の写真を見た参加者の皆さんも驚きを隠せない様子でした。

佐糠は泉藩領なのですが、泉藩は明治初期の廃仏毀釈(仏教を廃絶するための宗教政策、運動、思想)で領内の寺社を徹底的に破壊しました。ここまで徹底したところは少ないとのこと。

今でもお葬式の形式が違ったり、戒名がなかったりなどと影響があり、正木さんは「これが普通だと思っていたので驚きました。」と話していました。

佐糠薬師堂の前で参加者らが円になって説明を聞いている
佐糠薬師堂

次に佐糠八幡神社へ向かいました!境内にあるイチョウの葉が黄色に染まり、ふわりとぎんなんの香りがしました。佐糠八幡神社では昔は7年に1回、現在は5年に1回、9月に行われる例大祭で三匹獅子が奉納されています。正木さんは、ほぼ記憶にないそうで、「じゃんがらか何かやってるのかな…?」と思っていたそうです。

来年は5年に一度の年らしいので、見れるチャンスです!

また、神社の入り口のところには、『古川権左衛門』という名前が書かれています。錦町の熊野御宝殿神社というところがあり、そこは元々和歌山県の熊野神社から勧請されて、大同年間801年くらいにやってきた神社なのですが、その時に馬に神様を乗せて連れてきたのが古川権左衛門です。毎年、熊野神社では、襲名性で古川権左衛門の儀があるそうです。

そしてリサーチをしていて驚きの発見だったのが、古川権左衛門と一緒に熊野の方からやってきた七家の中に『正木』があったこと!正木里奈さんのお父さんは、錦町の人で、『正木家』は、大同年間にやってきた古い家柄だったかもしれないとのこと。繋がっているんですね。

佐糠八幡神社

また、佐糠八幡神社の隣には、『鎮魂の碑』があります。

元々、鮫川は氾濫しやすい川だったようで、治水には水難事故があったりなどとても苦労したそうなのですが、これも廃仏毀釈で墓石を壊して堤防を作った歴史があり、後に『鎮魂の碑』が建てられました。

ー 今も変わらぬ鮫川の景色

再び鮫川沿いに戻ると、夕焼けに染まる空と一面に広がる鱗雲…!
みんな思わず立ち止まり綺麗な空に見とれていました。

そのまま川沿いを走っていくと、何やら石碑が見えてきました!相楽等躬(さがらとうきゅう)という俳人の『夜は分る孤雁なるらん捨小舟』の句碑です。

また、内藤露沾(ないとうろせん)が「勿来八景」に選んでおり、今私たちが見ているこの景色は、当時から変わらず美しかったんだなあと感慨深くなりました。

鱗雲が綺麗な鮫川沿い夕焼けをバックに自転車に乗っている影
鮫川沿い夕焼けの景色
相楽等躬の句碑『夜は分る孤雁なるらん捨小舟』と書いてある
相楽等躬の句碑『夜は分る孤雁なるらん捨小舟』

最後に出羽神社まで行き、古川傅一翁像を見にいきました!ツアーの最初の方で『古川酒造』を紹介した時に、「植田に勿来火力発電所を誘致した人」と説明があった古川傅一さん。もう日が暮れてしまい薄暗い中での見学になりましたが、出羽神社に佇む古川傅一さんは、植田の町を見渡しているかのようでした。

古川傅一翁像が薄暗い中ライトに照らされている。
古川傅一翁像

そして完全に日が落ちてしまう前に!と内心急ぎつつも、自転車のライトをしっかりつけて安全走行で植田駅まで戻りました。小学生2人も含め全員無事にゴールすることができました!

地元の方々も知らないようなディープなスポットと、面白い歴史や伝説もあり、大人も子供も一緒に楽しめるツアーでした!参加者の方々からも「知らない話ばかりで面白かった!」「楽しかった!」という声が聞けて良かったです。

今回のツアーでは金山エリアの方まで行けなかったので、次のツアーではまた違うコースで実施したいですね!

金山には『安寿と厨子王伝説』があったり…。こちらも面白いエリアになっていますのでお楽しみに~!

火力勿来発電所をバックに参加者全員で記念撮影
火力勿来発電所をバックに記念撮影


文章:井上栞里(NORERU?広報)
写真:鈴木穣蔵


いわき時空散走フェスティバル23レポートはこちら


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