笑い飯

和装の二人がせり上がり、出囃子合わせて降りてくる。
鼓叩いてゆっくりと、自己紹介。

「すゑひろがりずともうします」
「イヨーッ」

ポンッ。

客席の拍手に迎えられて、『M-1グランプリ2019』の幕が開く。


すでにかまいたちと和牛の優勝候補二組が暫定席で行く末を見守っている。

残された一席にはニューヨーク、このコンビもトップバッターとしての重責をはねのけたとは過言ではない。
すゑひろがりずとの入れ替わりを得点結果が宣告したとしても、爪痕を残す、にぴったりの振る舞いを見せた。
司会者が演者にマイクを押しつけて、両者の関係性を知らないわたしはひやりとするくらいに。

実際ニューヨークに対しての一部評価だけでわたしは彼らへ不適な感情を伴っていた。
よくよく全てを知った口で嫌いだから面白くない、面白かったとしても笑いたくない、そう頑なになった。
そして笑った。
歌ネタでも、一悶着に緊迫しても、最下位であっても。
笑った事実は変わらない。
よくよく知った風に、らしさ、ニューヨークらしさを十分活かして場の雰囲気を作ったと、トップバッターの責務を果たしたと、わたしは笑っていた。
決してそれは嫌う者への嘲笑ではなくてヒールの去り際として笑っていた。

続く二番目の笑神籤はかまいたち。
『UFJ』の単語にぴんと来て、笑う準備も先の通りに出来上がっていた。
序盤も序盤でありながら納得の点数。

「660点」

決まった。
終わった。
かまいたちだ。

660点で決まりだ。
660点でお開きだ。
2019年の王者はかまいたちだ。

ただ。
何かが埋まらない。

欠けた物が何かは分からなかったけれど、分からなかったけれど覚えがある。
今日になっても分からないし、多分明日もそうだ。
先の未来に尋ねても覚えがあるだけで分からない。


2001年から第1回がスタートしたM-1の歴史の中にもそれは潜んでいる。
会場とテレビを駆け抜ける一瞬の熱量に隠れている。
数ある笑い声の記憶にくっついていて、無意識のどこかに刷り込まれている。

2003年アンタッチャブル。
2005年ブラックマヨネーズ。
2007年サンドウィッチマンや2008年のオードリー。
後にはいないか、あの日のスリムクラブは、銀シャリや霜降り明星は、一夜で会場を揺らしたのは。
誰だ。
何者だ。

決して敗者復活枠というような括りではない何かは。
前評判や真価とは言い切れない全く別次元の何かは。
出演順と点数と何かと何かが絡み合った、得体の知れない笑いの"神様"とも"魔物"とも呼ばれる一夜限りの夢舞台には、あの瞬間は、きっとあの日のかまいたちにしか見る事ができない。

「笑いの神が降りて来たミルクボーイに、僕達は生身で戦った」

山内が言った。
濱家は手を叩く。
千鳥の大吾とノブが笑う。
そんな一幕もあったようだ。


笑神籤が次を告げて、敗者復活枠で「和牛」と発表される頃には何事もなかったように見えた。
天竺鼠、トム・ブラウン、和牛(投票は意固地にカミナリ)のいずれかが上がればと、何も考えずに楽しんだ。
一つあるとしたら、いや、止めよう。
テレビの向こう側にある異世界をわたしは知らずに済んでいるし、それをそのまま楽しめている。
だからフォーマットの強みなんて蚊帳の外にいる誰でもが思いつく。
一個のネタにかける労力をそもそもが分からないのだ。

「652点」

なんだろう、こうして合計点だけ見るとかまいたちと和牛は8点差でも、大きく距離を開けられたと錯覚していたようだ。
笑神籤。
そして、すゑひろがりず。
和装の二人がせり上がり、鼓の音、拍手。
トップバッターと並んで一番点数が伸び悩みそうな出演順をそれぞれが余すところなく貫いた。

かまいたちの後を和牛が受けて、二組の先行きをすゑひろがりずが占うと描けば、どうもそれは大袈裟なのかもしれない。
景気を付けた祝いの儀式が、あの日を笑う神様に繋がったという妄想を抱けば、ただの願望でしかない。

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