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リカバリーストーリー

余韻に浸っている。そうしたら、もうこんな時間になってしまった。いつもの日付が変わる時間ギリギリnote更新。そして今日がこれまでと違うのは、わたしがいつまでも余韻に浸っていて、なかなかnoteを書き出そうとしなかったことだ。
何を書こう。何が書けるだろう。何を書いて今日を残そうか。そういうふうな余韻に浸っていた。

昼間、某所にて。わたしは自分のこれまでを振り返るリカバリーストーリーを発表した。リカバリー。2008年に精神障害である「統合失調症」を発症して、そこから現在へと至るまで。そんな発表をした。
リカバリーストーリーの発表は思いのほか上手くできた。こちらの狙い通りに。こちらが描いた通りに。こちらから語りかける通りに。そうした語りかけを思い思いに受け止めてもらえた。

以前に『「忘れる」というリカバリー』との記事をnoteに投稿した。そう、この発表の依頼が飛び込んできたのはつい2,3週間前。リカバリーストーリーの原稿とここに添えるスライドが完成したのが1週間前。そして今日。
発表は思いのほか上手くできた。こちらの語りかけを思い思いに受け止めてもらえた。わたしがそっと手渡したバトンは、今回様々な方によって握りしめて次へとつないで行くのだろうと、愉快な愉快な想像を広げられた。
そうしたら、もうこんな時間だ。余韻に浸っていたら、あっという間に時間が過ぎた。このまま一夜を語り明かしたいくらいの、言葉と言葉を並べて記事にまとめることさえもったいないくらいの、それだけの余韻だった。

「今日」というリカバリーストーリーを考えるにあたって。わたしは自らが体験したそれぞれを時系列順に年表という形で並べた。その年月の積み重ねを年ごとに数値で評価してみた。評価はただちに折れ線グラフへと形式を変えて、一個の興味深い表が出来上がった。
「これ」をどういうふうに発表したら、皆が面白がってくれるだろう。そういう遊び心に従って、ひとまずわたしはスライドショーを作成した。

この遊び心には一つの記憶が思い出された。わたしが精神障害を発症する前の、人生の中で過去イチ充実していた期間が、確かそうだったよなと記憶を辿っていた。ふとした、予期せぬ、どこか埋もれていたそんな懐かしい記憶が、どんな未来の積み重ねにあろうとも、今日という日につながっていた。今の瞬間と連動する、付き添うように呼び起こされる、色褪せたとしても失われない、大切な日々。そんな記憶をイースターエッグ=製作者の隠しメッセージとして扱うように、わたしはスライドショーの動きを確認していた。

発表は思いのほか上手くできた。話が尽きないほどの余韻にずっと浸った。このリカバリーストーリーには、わたしがこれまでを生きた色々が詰まっていた。だからこそ、寂しくもある。もう、これを手渡すべきなのだと。今日をもって、バトンを継いだ方による次のリカバリーストーリーが語られるべきなのだと。それを思えば、どうやら「今日」のわたしはしっかりと役目を果たせたようだ。

今日から明日へ。明日から明後日へ。明後日からずっとそれ以降も。わたしのリカバリーストーリーは、わたしが続く限り、いつまでもどこまでも。
きっと、どこかで、この記事と出会うあなたともつながっている。

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