見出し画像

女性形がある言葉のむずかしさ

 スウェーデン語に初めてふれたとき、名詞に「両性」と「中性」があると読み、「なんのこっちゃ、どういうこと?」と、頭の中がはてなでいっぱいになりました。どれが両性で、どれが中性か、は覚えるしかないのですが、両性名詞(「共性名詞」とも)は、もともと、男性名詞と女性名詞とに分けられていたものを「共性」としていっしょにしたものであると、あとになって知りました。

 この「両性(共性)」「中性」という区分とはまったく別ですが、職業などを指す名詞には、女性形が存在するものがあります。日本語や英語でも、「俳優(actor)」という言葉に女性形の「女優(actress)」があるような感じです。たとえば「lärare(教師)」の女性形は「lärarinna」、「vän(友達)」の女性形は「väninna」です。
 現代では「lärarinna」を使うひとはまずいないと思われ、使っている場合はかなり古めかしい感じを受けます。が、古い時代を扱っている作品では、わりと見かける言葉でもあります。

 女性形がある語をどう訳すか、というのは、けっこう悩ましいものです。フィクションの場合とノンフィクションの場合でも違うかもしれませんし、その語が使われている文脈や時代などによっても判断が変わってくるのではないかと思います。いまも進行形でそういう言葉に悩んでいます。

 いや、そもそも男性と女性だけに分ける必要があるのか/分けられるものなのか、という考えも出てくるのですが、この点についてはひとまずここではよけておき、バイナリーという枠の中で考えています。

 たとえば、19世紀の終わりや20世紀初めに生まれた女性が語るときに使う「lärarinna」を「女教師」とすべきか、ただの「教師」とすべきか。女子の学生がほとんどいない時代に大学で学び教職を選んだひとの言葉です。やはり時代的に「女教師」の方がいいだろうか。でも、このひとが現代に生きていたら、女性形は使っていないような気もします。

 別の例は「städerska」。「掃除をする女性」を指す言葉で、男性を指す場合は「städare」です。が、スウェーデン・アカデミー編纂のオンライン辞書SOによると、こちらは女性を指す前者の方が早く、18世紀初めには使われていて、後者の方が遅く、19世紀半ばに使われるようになったようです。とはいえ、1990年刊行のスウェーデン語/日本語辞典である『スウェーデン語辞典』(大学書林)には、女性形の「städerska」しか掲載されていないので、男性形はあまりメジャーではなかったのかもしれません。

 では、20世紀の半ばに生まれたひとたちが使う「städerska」を「掃除婦」や「清掃婦」とするか、「清掃員」とするか。これもまた、むずかしい。女性が従事することが多かったから女性形の方がメジャーだっただけなのだろう、だったら「清掃員」でいい気がするなあ、でも、女性が多いのは育児の合間にできる仕事であったからだという文脈や、賃金の低さ、彼女たちが受けていた社会的視線を考えるとあえて「掃除婦」の方がいいのかもしれない。でも、どうなんだろう……。

 こういうことを考えながら、手元にあるスウェーデンの女性史事典をぱらぱらとめくっていたとき、こんな絵をたまたま見つけました。

女性がソファに寝転んで煙草を吸いながら本を読んでいる絵。
"Kvinnohistorisk uppslagsbok", Harriet Clayhills, Rabén & Sjögren, 1991.

 若い女性がソファーに寝転んで煙草を吸いながら本を開いている、という絵です。キャプションには「”Studentska, som ligger vid universitetet” enligt Söndags-Nisse 1871」とあります。「1871年の『日曜のニッセ』いわく、大学にいる女学生の図」といった感じの意味になりそうです(『日曜のニッセ』は風刺漫画雑誌ですが、事典編纂者によるこのキャプションもまた風刺が効いている……!)。

 注目したのは、冒頭の「Studentska」でした。「student(学生)」の女性形です。学生の女性形をわたしはこれまで見たことがなく、女性形があったということに驚きました。これまたスウェーデン・アカデミー編纂のオンライン辞書SAOBによると、1870年代に使用が確認されているようです。別の女性形「studentinna」は、1860年代にすでに使われていたようです。
 この語が登場した1860年代から70年代というのは、女性が高等教育機関で学べるようにするかどうかが議論され、許可された時期です(「許可」というのも変な話ですが……)。実際に「女子大学生」が誕生すると、こういう記事が掲載される、ということです。

 studentska、studentinna、どう考えてもいま使われているのを目にすることもない、これは迷わず「学生」とするだろうな、と思いました。言葉は変わっていくんだ、ということは、「lärarinna」も「städerska」もすっきり「教師」と「清掃員」でいいんじゃないか! 解決した……!
 
 ただ、日本語にしてみると、さらっと「女学生」と語がはまってしまい、「その時代なら、女学生の方が自然なのでは」という気もしてきます。
 
 さらには、「もしかして、あの時代のひとが使う「student」は、もれなく男子学生を指しているということなのでは」ということに思い至ります。ということは、そういうふうに訳すべきで……。うーん……。
 
 と、ふりだしに戻った感はありますが、知ることは大事だと思いました。

 日本語で考えてみると、「看護婦」や「保母」といった言葉は、現在はほとんど目にしなくなり、日常でも「看護師」「保育士」という言葉が浸透しています。でも、ほんの20年ほど前には、「看護婦」「保母」の方がまだ使われていたような気がします。同時に、そんなに最近まで使っていたっけなあ、という気もします。
 
 辞書を引くと、「看護婦」については以下のようにあります。

「女性は「看護婦」、男性は「看護士」と呼ばれていたが,2001年に保健婦助産婦看護婦法が保健師助産師看護師法に改正されたのに伴って、2002年から男女とも「看護師」に統一された」

ブリタニカ国際大百科事典

 「保母」の方はこう。

「2001年、「保母・保父の名称を改め、国家資格とした」

広辞苑・第7版

「1998年の児童福祉法施行令の改正で、「保育士」が正式名称となり、1999年から男女とも保育士の名称が用いられることとなった」

ブリタニカ国際大百科事典


 どちらも同じ時期、2000年前後に名称が変わっていました。

 どちらの言葉も、もともと女性が従事するものとされていたため、「婦」や「母」という言葉が使われていたのが変えられたもので、「掃除婦」が「清掃員」に変わるのもこのパターンです。
 一方、「教師/女教師」、「学生/女学生」などは、男性が従事するものとされていたものが女性にも門戸が開かれて女性形が作られ、さらに時代が進んで男女の区別をしなくなっている、というものです。
 変化のニュアンスが違うので、両方を同列で論じることはできません。それでも、「看護師」や「保育士」の浸透ぶりからは、四半世紀ほどで言葉は変わる、変えていけるのだ、ということや、言葉の変化によってひとびとの意識も変わってくるということが、よくわかります。だからこそ、かつて使われていた言葉をどうするか、ということは大きく大事な問題なのだ、と改めて思います。

 言葉をどうするかということのむずかしさは変わりませんが、ひとも社会も変わることができる、ということに希望を感じます。

追記:
 ちなみに、会のメンバーに教えてもらって気がついたのですが、スウェーデン語では「看護婦」(sjuksköterska)という言葉がいまも使われ、あえて男性を指す場合は「男性の看護婦(manlig sjuksköterska)」と書かれるようです。大手日刊紙DNで記事を検索すると、たしかに「男性の看護婦」という表現が出てきます(2020年の記事が最新)。
 再びオンライン辞書を引いてみると、「看護婦」という語は、男性の従事者も含めた中性的な語として使われていることがわかりました。わざわざ「男性の」と書く必要もないようです。また、「看護師」に相当する「sjukskötare」という中性的な語については、SOには「(古めかしい表現)男性の看護婦」と書かれていました。
 少し驚きましたが、DN紙の言語関係の記事で、読者からの質問に対する回答で、「中性的な語の使用が奨励されるが、女性形で確立し支配的に使われている唯一の例外は、sjuksköterskaである」といった旨の表記がありました。広く通用してしまっているのでそのまま使う、ということなのでしょうか。とはいえ、古めかしいとされる「sjukskötare」も新聞記事で使われていることもあるようなので、こちらの方が広く使われるときが来るかもしれません。

(文責:よこのなな)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?