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40代の責務 「人間は意志ばい。」

土曜の朝は早起きして、家族が寝ているうちに録画したテレビ番組を観るのが楽しみである。
まずは大好きなクドカンの「不適切にもほどがある!」第5回を視聴。いつも腹の底から笑ったり考えさせられたりする。今回はまた脚本が秀逸で感心した。

それから今月初旬に放送されたのを録画しっぱなしにしていた、ETV特集「二風谷に生まれて 〜アイヌ 家族100年の物語〜」を視聴。こちらもまた本当に秀逸な番組であった。

自分の意志とアイヌの魂を守るべく闘ってきた方々の凄まじさに感動した。とんでもなく大きくて傍若無人な敵が突然現れ、長く長く心血を注いで闘わなければならなかった。途中で心が折れそうなものだが、自分たちの文化と自然、暮らしを守るために闘ってこられた人々。自分にこんな闘いができるか?

明日のブッククラブに備え、森崎和江さんの「まっくら」を幾度も読み返していた。赤不浄という章に書かれた「人間は意志ばい。」という言葉が昨夜から脳内をぐるぐるしている。こちらもまた、自分の意志と誇りをかけた不条理との闘いの話だ。

不適切にもほどがある!でも描かれているように、令和はマイルドだ。誰も傷つけてはならないのは当然だけれど、自分自身もいい人であろう、調和を取ろうとし過ぎているのかも知れない。私自身、昔はものすごく気が強かったし、特にテレビのC、SW、TDを担当していた20代後半から30代は、ゴリゴリの気の強さだった。言葉は悪いが、職人のおっさんたちになめられないよう虚勢を張っていた。もちろん努力もした。ヘラヘラしてたら信用してもらえない。悔しい思いも沢山した。セクハラパワハラ当たり前だった。そこに戻りたくはないけれど、自分が自分の意志をギラギラと持って生きていた。最近の自分ときたら「否定をしない」を念頭に置き過ぎて価値観がわからなくなっている。自分の「意志」はどこへ行った?

主語は大きくしたくないけれど、おおよそ40代はゴリゴリした先輩たちに育てられ、マイルドに後輩を育てなくてはいけないという、板挟みな世代に思う。だけど、やり方とか言い方は違っても、先人たちがしてきたように「誠」の意志のもと、闘わなければいけない瞬間もあるのではないかと思う。やり方はわからないけれど、私は責任を感じる。日々TLに流れてくる平和に関するリツイートなど、先導しているのは私より若い世代が大半だ。
SNSで熱い意思を持って流れてくる情報は、年なのであろう、私にはガチャガチャして何が何だか正直あまり良く読めない。カタカナがわからない。やっぱりアナログがしっくりくる。ポスターや本のように静止して読める文字がいい。

ここのところ毎度書いているが、これもまた自分の内側のコトバに耳を傾けることの1つだと思っている。
違うと思うことには、きちんと腹を立て、怒り、「私は今不条理を感じている」ということを伝えようと思った。

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