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いのちの終わりに。

本の最後の1ページが閉じるように静かに止まった、おじいちゃんの最後の呼吸。

なぜかそこには悲しみではなくて
最後までやりとげたという達成感のような、不思議な感覚だったのを思い出します。

2年前の11月3日
生前からの「家で死にたい」という願いを無事に叶えて、永い眠りについたおじいちゃん。

一緒に暮らしていなかったから、些細な変化にも気付けずに、気付いたときにはただただ弱々しくなった姿がそこにはありました。

看病のために祖父母の家に泊まり込みながら
刻々と変わる状況の中でしたが
あの時わたしは無意識のうちに
長年大切に築いてきた暮らしを、
揺らがない信念を、
次に継なぎたいものがあることを
確かに感じていたのだと思います。

そして、受け継がれてきた血に
どんな歴史があったのか知れたことで
自分自身のことも、また違う視点で見れるようになっている気がします。

病院で働いてたとき、たくさんの方の看取りをさせていただいていたのに、そこには「死」というもののリアルはなくて、どこか実態のないものでした。

人のいのちの終わりは、
心許せる人たちに囲まれながら、
築いてきた暮らしの中で迎えることで、
それまでの生きてきた時間が、
言葉にはならないものとして、より色濃いものとしてそこに在って、
また次の人たちに受け継いでもらえるんじゃないかなぁなんて思います。

おじいちゃんは私に、
最期何を伝えたかったんだろうとよく思うけど、
きっとどこか自分の中でしっかりと根付いてきているんだろうな。
今祖父の大切にしていた家に住みながら、日々いろんなことを感じるのです。

いつか芽吹いて花咲く日まで、
ゆっくり育んでいきたいです。

色々思い出して感じることがあったので
綴っていたらとても真面目な文書になってしまいました。笑

最後まで読んでいただきありがとうございます!


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