見出し画像

永き音楽の旅、5話目

自身の音楽遍歴を辿る話の第5話目。
これからは小さな音楽生活の中での節目節目のお話になります。
まだまだ録音とか音楽制作に至るまでは、もう少しかかります。
もっと早めに録音とかしてればなぁとは思ってます。


さて、本日はまだ高校時代のお話。
当時はギターを独学で練習していたけれど、人と演奏しようとか、バンドやろうとか、ライブしたいとか、正直余り考えていなかった。
誰かに聞かせたいとか、人前で演奏したいとか、そんな目的は特になく、ただ音楽に合わせて、毎日独りで演奏していた。
それだけで満足していたし、出来ることが増えていく過程が好きだった。

普通なら楽器をやるきっかけって、こういうミュージシャンになりたいとか、女の子にモテたいとかがあるものだと思いますが、その当時はギターを弾いてステージに上る自分を想像もしていなかったし、どちらかというと気恥ずかしいと思っていたので、ライブしようなんて考えは一つも持ってなかった。

その割に音楽の話はしていたので、ギターを弾けるのを知っている友人が学園祭に出ようと声をかけてきた。人前で目立ちたいと考えている人はやはりいるものである。

「楽器やってるのに、バンドやらないのは勿体ない。可笑しいよ」

タイプで分けると、そういう人は大概、ボーカルをやりたがる人に多いような気がする。そう言われ、気乗りではなかったが練習スタジオに入って、音を出すのは興味があったし、「まぁ、確かに」とも思ったので了承した。

けど、困った。スタジオで音をどうやって作るのか、良くわからないし、
ライブのセッティングってどうするんだ?エフェクターもファズみたいのしかないし、ギターだって貰い物のストラトキャスターだ。
人前で見せられるものではない。どうしよう?

しばし考え、『買うか、ギター。』

元々、自分で買おうかと考えて、少しずつ貯金はしていたので、今がその時と思い立った。買うは良いが、はて?何を買おう?

雑誌見ながら、考える。音なんて分からないので、見た目と好きなギタリストが弾いているものに絞っていく。

やっぱレスポールだな!

ジミーペイジもそうだし、ジョーペリー、スラッシュ、ジョンサイクスなんかもそうだ。その当時好きだったギタリストはレスポールを弾いている。

形も女性的で、ストラトキャスターやテレキャスターのずんぐりむっくりした感じより格好いい!当時はピックアップがハムバッカーとかシングルコイルだとか、そんな音のことは知らないので、ストラップ長くして膝下で弾けば見栄えが良いものにしよう。それくらいしか考えてなかった。

そんで地元の楽器屋へ行き、予算内のものを試奏しつつ、物色。
行き着いたのは、黒いOrville by Gibsonのレスポール カスタム。
ピックアップがギブソン製だったので、これでいいかぐらいのノリで決めた。30年以上前の当時、確か8万円ちょいくらいだった気がする。

余り細かいことは考えず、安直な考えで購入した、このギター。
音も太く、今もメインで弾くらい、大好きな楽器である。
名前を付けて大事にするほど、愛してる。

購入当時から他の人とは見た目を変えたかったので、ピッアップガードは外し、トーンとボリュームのノブをゴールドのものに2つだけ換えて、PinkcloudやPSYCHEDELIXのシールを貼ったりした。

Orvilleって、いまでは中古市場で結構な値段で売られているとは聞いたことがあるけど、売りに出すことはないだろう。

あとは歪みエフェクターで、BOSS TURBO OverDrive OD-2を購入。
ホント、これだけでライブに向かうことになる。

今ではライブはしないけど、やったとしてもエフェクターは今でもワウペダルとヴォミュームペダルくらいで、どうしても必要なら使うけど、殆ど使わない。歪みはアンプの方でクランチ気味のセッティングにしておくし、クリーントーンを出すときはギターのボリュームを調整して出す。
ギターソロが必要で弾くとき様に補正程度に購入したオーバードライブを踏む。ホント、それくらい。なんか音が薄くなる印象があって、コンプとかも使わない。ホントは使ったほうが良いのだろうけど。

そんなこんなで高校2年生の学園祭へ向けて練習を始めた。
ボーカル、ギター2本、ベース、ドラムのシンプルな5人編成。
バンドの方向性なんてものはなかったので、メンバーそれぞれがやりたい曲をあげていった。見事、バラバラ。
浜田省吾、ブルーハーツ、パワーステーション、他にも1曲か2曲やった気がするけど覚えていない。私自身は何の曲でも良かったし。

練習は楽しかった。人と合わせて演奏するのって楽しいんだ。初めての感覚に驚きもした。ギターは2人だったのだが、メインはもう一人の人が弾き、私はリズムギター中心で補佐役みたいな感じ。
基本は楽譜を元に演奏してたけど、フレーズだったり、パート割は2人で決めたし、機材の話も聞いたりして勉強になった。
その人はアームもグニャグニャ使ってたし、エフェクターはマルチのものを持っていて色んな音を出せてた。
ほぼアンプ直だった私からすると、凄いなぁと感心してた。

練習スタジオや市の公民館とかで何回か練習を重ね、いよいよ学園祭本番。
高校の武道館(柔道とか剣道とかやる場所)で軽音同好会がミキサーをレンタルして、ライブを行う。部活で使って醸し出された汗混じりの独特の匂いのある空間の中で、これから演奏を行うのかと考えると緊張もあったし、不思議な感覚になった。
さて、そんな我がバンド、前日まで名前が決まらず、ボーカルにバンド名は任せていた。任せたから仕方ないけど、これがバンド内でケチのつけあいになった。会場に入り、タイムスケジュールを見ると、私達の順番のところのバンド名が『膿』と書かれていた。

他メンバー:これなんて読むんだ?
ボーカル:うみ
他メンバー:う?み?しかも漢字だし。
ボーカル:個性的でいいだろ?
他メンバー:ま、まぁ

演奏云々は周りから悪いことは言われなかったので、酷くはなかったと思うのだが、その日の想い出として一番心に残ったのは、私が初めてやったバンドの名前は『膿』だったということ。いまでも何故、膿?と思い返す。

ただ、音を合わせて出すって楽しいし、人前で演奏するのはリアクションがあって興奮する。音楽って楽しいなと純粋に思えた。

その後、膿というバンドはバンド名のこともあり、フェードアウトし、活動自体は無くなってしまったけど、大学に行ってバンドやろう、軽音に入ろう。そう思えた、大事な節目でした。

長くなりましたので、今回はここまで。有難うございました。
最後に良かったら、聞いてみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?