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嵯峨野ぐらし30 七条は「しちじょう」か「ななじょう」か 

 大学の課題である小説(8,000字)を、郵送していては期限に間に合わないので締切日前日に大学に出向いて提出するという京都市内在住者にしかできない荒技で乗り切りました。久しぶりのNote投稿です。
 京都の市街地の住所は「〇〇通〇〇上ル/下ル/東入ル/西入ル」で事足りるので、その後につく「△△町△△番地」はあまり意味をなさないというか、地元の人が聞いてもそれがどこなのかさっぱりわかりません。Yahooニュースの食レポなどで、よく店の場所が「中京区△△町」というように書いてあるのですが、そんなこと言われてもどこらへんなのか、さっぱりわかりまへんのどすえ。△△町が定着しない大きな理由に、「あちこちに△△町(同名の町)がある」ことがあげられます。代表的な「あちこちにある町名」が、「乾(いぬい)町」「巽(たつみ)町」「艮(うしとら)町」「坤(ひつじさる)町」です。えっ? ウシトラにヒツジサル? 艮と良は似てるけど違う字だ! こんな字見たことない! 
 日本では江戸時代まで、時刻や方角を十二支で表していました。

十二支と方角

方角で言うと、上の図のように、北は子(ねずみ)、東は卯(うさぎ)、南は午(うま)、西は酉(とり)なのですが、360度を十二支で12等分にすると30度になるので、丑(うし)の方向は北から東方向へ30度回った方向、すなわち今で言う「北北東よりやや東に向いた方角」になるわけで、現在の一般的な方角の表し方である、北東/北西/南東/南西に相当する45度分割の方角が存在しないことになります。とはいえ、風水では北東は鬼門、南西は裏鬼門なのでこれを表す字がないのも具合が悪いわけで・・・・・・
北東は丑と寅(とら)の真ん中なのでの字を当てて「うしとら」と呼ぶようにしたわけです。同様に南東は、南西は、北西はという字を当てて表していました。
 余談ですが、時間も下の図のように24時間を12等分して、0時の前後2時間を「子の刻」、2時の前後2時間を「丑の刻」というように表していました。でもそれではアバウト過ぎて待ち合わせの時間を決めるにも困るので、子の刻の2時間を30分ずつの4つのブロックに分け、順番に一つ、二つ、三つ、四つと呼んだそうです。つまり「草木も眠る丑三つ時」とは丑の刻(1時~3時)の3つ目のブロック、すなわち2時~2時半を表していました。「午の刻」といえば12時の前後なので、現在もお昼12時を正午というそうです。

十二支と時刻

 それはさておき、京都駅のちょっと北側を東西に走り、三十三間堂や国立博物館の前を通り智積院に突き当たる通りといえば「七条通」ですが、その読み方はどれが正しいのかよくわかりません。七条通を通る市バスの停留所は「七条大宮(ななじょうおおみや)」とか、「七条京阪前(ななじょうけいはんまえ)」というようにすべて「ななじょう」と読んでいるのに対し、京阪電車の「七条駅」「しちじょう」だし、その上にある京阪バスの停留所は「七条京阪前(しちじょうけいはんまえ)」です。そう、写真のように同じ場所にあって漢字で書くと同じ名前の停留所なのに、バス会社によって読み方が違うのです。

七条京阪前停留所

 市バスの停留所名は、市電の停留所名をそのまま引き継いでいるところが多く、現在の川端通の三条~七条はもともと京阪電車が鴨川と琵琶湖疏水の間の土手を走っていたところなので、「四条川端」とか「七条川端」ではなく、京阪電車をひとつの通りのように表現し「四条京阪」とか「七条京阪」と呼んでいた時代のまま現在に至っています。当時は一条(いちじょう)と四条(しじょう)と七条(しちじょう)を間違えやすいので、わざと七条を「ななじょう」と呼んでいたとされています。ちなみに地元の老人は七条を「ひっちょう」と読むらしいので、読み方が3種類あることになります。
 しかし、1913年(大正2年)に開通した七条大橋の出口側(西側)には写真のように「志ちでうおほ者(は)し」と書いてあり、正しい読み方は「しちじょう」だったようです。

七条大橋

 余談ですが、橋の銘板を「七条大橋」と漢字で書いてあるほうが「入口」で、「志ちでうおほ者し」と仮名で書いてあるほうが出口なのだそうです。
そんなんどうでもええやん! それでは皆さん、ごきげんよう。


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