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映画【未来のミライ】

お風呂場で見始めて、裸のまま90分。
お湯が冷めていくのを脂肪細胞に刻みつけながら、体育座りの体勢でじっと観ていた。

温まったら適当に切り上げて、続きはベッドの上ででも観ようかと思っていたのに。

急展開もアクションシーンも、息を飲む瞬間もない。でも毎分ちょっとずつ引き込まれていって、登場人物の機微に揺すられる。

一人っ子で、兄も姉も、まして妹も弟もいないから、本当の意味でくんちゃんの寂しさに共感することなどできないのだろう。

だからこそ、お母さんの「手のかかる子の方が可愛いなんて知らなかった」がちょっと刺さった。

多分私は、「手のかからない子」だった。
大きな怪我も病気もなくすくすく育ち、チャレンジ1年生で先取りさえしていれば小学校の授業などただの消化試合。父の転勤に付いて何度転校しても、泣いて帰ることもなく苦なく一人でも遊べて、それなりの速度で馴染んでいく。

中学以降の反抗期が長く続いて母には手間をかけたと思うが、少なくとも幼少期と呼べる頃の私はとっても「いい子」だった。

「手のかかる子の方が可愛い」
それが真理だと薄々気づいたのは小2、悟ったのは小5の時だ。

小2の時、私は自分の能力を誇示することに命を懸けていたのだと思う。
転校生としての不安から頑張ってしまったのだと自己擁護するのは簡単だが、普通にそういう性分だった。

その日は確か、先生が挙手を求めた時全てに応えることを心に決めていて、迷わず実行していた。
で、1回も指されなかったのだ。
それが悔しくて悔しくて、私は全部の質問に手を挙げているのに!どうしてあの子はたまたま挙げただけであててもらえるの、なんで私は。

少し大人になれば全然理由も分かるしむしろ当時の担任に申し訳なさすら感じるが、その時は本当に自分を否定されたように感じて、家に怒りながら帰って玄関で靴も脱がずに母にしゃくり上げながら訴えたのを覚えている。

母がなんて言って私を宥めすかしてくれたか明確に思い出せないけれど。
その日確かに私は不条理を飲み込む練習をしたのだった。

その日以降「先生の質問全てに最速で答える生徒」から、「不正解も出つつ議論が温まってきた適切なタイミングを測り正解を差し出す生徒」へと変貌を遂げていく可愛げのなさだけは今も昔も変わらない。

でもこの時は、まだ、「いい子」な私の利用価値を売り込む方向で自尊心との均衡を保っていた。

結局私がきちんと本質的に悟ったのはそれから3年後、小学5年生の時なのだからどうしようもない。

当時私は、父のアメリカ転勤の可能性を念頭に置きつつ英会話教室に通っていて、4人1組のクラスに所属していた。
そのうちの1人が、端的に言うと問題児で、1時間半のレッスンを座り通しておけない、教科書はだいたい敗れていて、先生の質問に4ページ前のフレーズを読んで答える。もちろん宿題なんてやってきた試しはない。

私は基本的に大真面目なたちだから、宿題はやるものだったし、やったから偉いのではなく、やらない方がだめなのだと思っていた。

だから、別に褒められたい訳じゃなかったはずなのに。

たまたまそいつが宿題をやってきただけで「偉い!やればできるじゃない!」と喜ばれているのを見て、苛立ちよりも虚しさが勝った。

私は毎回宿題をやってきているのに。
当たり前のように毎回出すのに、褒められることはおろか発音を訂正され「もう少し丁寧に読んでこようね」と声をかけられる。

そんなことを嘆こうものなら「あなたに期待しているからこそ」「完璧にできて始めてやったことになるのよ」などと片付けられることはもう知っていた。

迎えに来た親達が立ち話で盛り上がっているのを先生の家の前で待ちながら、住宅街をぼんやり照らす月を見上げて、一人飲み下した不条理だった。

でも「手のかかる子ほど可愛い」のはちょっと違うともう少し大人になってから気付いた。

手のかかる子が可愛いんじゃなくて、可愛げのある子が可愛いのだ。

確かに子供は子供らしくあれという大人のエゴも含まれてはいるのだと思う。
でもそれ以上に、素直な子の方が可愛い。斜に構えてない方が可愛い。

長かったなぁこれに気付くの、それで気付くまでに多分にひねくれたから、純粋に甘えたりとかがちょっと不格好になってしまうのだけど。

高校生くんちゃんのスカしっぷりに笑ってしまった。
ミライちゃんの無邪気さに救われるんだろうし、高校生になった思春期のミライちゃんに、大学生のくんちゃんがあたふたするのが目に浮かぶ。

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