没記事:2021年に改めて問われる。Vtuberとはなにか、

こんにちは、野良猫のユウです。

今回は少し硬いお話をしようと思います。しかし、硬すぎて私にはとてもさばききれない内容ですのであしからずお願いいたします。

そしてもし異論・付け加えがございましたら、なにとぞ「はてな」やnoteにぜひ書いてください。


2020年の年末にKAI-YOUで一本の記事が公開されました。

内容としては、

〇変化するVtuber界に対するジャンル論の機能不全

〇恣意的にVtuberの文化圏を決めることへの問題提議

が大きく占めていると思われます。


Vtuberのジャンル論に関しては、私がある程度Vtuberに明るくなった時期(2019年夏頃?)には、「ぺらぺらな2Dの配信はVtuberではない」という時代でもなくなり、すでに手が付けられなくなっていたように思える。

「うんうん、それもバーチャルYouTuberだね」と定義や細分化を諦めてしまった事実は否めない。
(決して必要を感じなかったのではなくて、挑戦するも、考えても結論が出ない内容であると同時に、それをオタクが声高に言ったとしても誰も受け取らないため、諦めたと私は思っています。)


Vtuberの文化圏について、一般リスナーは意識的に無視をしているのではなくて「本当に知らない」という層がかなり多い印象を受けます。

大手事務所しかわからない、自分の推し以外のことは全く知らないという層が増えているのではないかと。

「コラボしそうな可能性のある範囲だけをVTuberの文化圏だと考える」という排他的な意識がとても高まっている状況にあるように思える

自分の推している範囲がアンテナの中心となってしまうのは仕方ないことではあり、語るにあたってはアンテナが届く範囲だけになってしまいます。

一般リスナーに自分の興味がない分野まで興味を持てというのもなかなか酷ではないでしょうか。

ニュースサイトにしても、どうしても主戦力となる記事は人気が高いVtuberが中心となるのは、利益を出す以上仕方がないように思えます。


ただし、その消費するだけの行為は、将来につながるかと言われたら首を縦に振ることはできないでしょう。


ちなみに私はあすかなの存在については知っていましたが、映画についてはこの記事で初めて知ったうえに、22/7は存在すら知らなかったです。悔しい。


とここまで書いてギブアップです。続き誰かお願いします。

ちなみに続きで書こうとしたのは、パーソン・ペルソナ・キャラクタの三層理論を用いてどこまでをVtuberとして扱うのかと、バーチャルの音楽はキャラクターソングなのか?そうでない場合Vtuberでくくる必要は?→土壌としてのVtuber

みたいな感じです。


頭いい人よろしくお願いします。






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