【トラウマケア日誌】返却期限が1ヶ月過ぎた本を返しに行ってきた話
2024.3.20から、セルフでトラウマケアをはじめました。気がついたこととか、書き留めていきます。
今日は【一人称で考える、感じるワーク】シリーズ
すこし元気になってきたので部屋を片付けていたら、1月初旬に図書館で借りた本が出てきました。
もともと1月下旬が返却期限だったものを、返却日前日に気がついてweb手続きで返却期限をさらに延ばしたもの。
延ばした返却期限がたしか2月上旬だったので、そこからすでに1ヶ月半も経ってしまっている。ことに気がついたのが、1週間前。
気がついて一番最初に思ったのが「ごめんなさい」でも「はやく返しに行かなきゃ」でもなく、「怒られるかな、やだな」でした。
月曜休館だったから、休館中の返却ポストに入れちゃえば怒られないな。とかね。
でも先週の日曜夜は忙しくて、先週の月曜は仕事で行けなくて。先週も平日休みはあったけど、怒られるのが怖くて行けなくて。本はリビングの見えるところに置いておいたので、チラチラと目に入って…返しに行かなくちゃいけないのは分かってるんだけどね…で、1週間経ちました。
30過ぎた大人が何言ってんだと、わたしも思ってたんだけど、なかなかに怖かったんですね。
それで、今日は平日休み。
朝から夕方までガスト籠ろ~って思って荷物を作ってるときに、目に入りました、未返却の本。
「怒られるかな、やだな」「長いこと体調崩してたって言えば、怒られないかな」「あと数日待って、日曜の夜に返せばいいかな」とか、いろいろ考えて。
こんなにずっと気になるならとりあえず持っていこうと思ってリュックに詰める。
家を出て、なんかざわざわ心がして。うーん、、図書館行きたくない。と思ったところで、冒頭の一人称で考える、感じるワークを思い出しました。
こんな風に考えながら、感じながら歩いていたら、ふと。
言い訳しなくてもいいかもなぁ。という気持ちが湧いてきました。びっくり。
「わたしは、図書館の人に怒られるのが怖いなぁ嫌だなぁと思っている」と感じてみると
あれ?怒られないかもしれないな?と気がついて、怒られたら謝ればいいか、と気がついて。
「図書館の人が、怒るかもしれない」だと、スタートが相手になっている。思考が相手に乗っ取られていて、自分の思考が曖昧になるし、そうなると信じこんでしまうのではと思いました。
「わたしは、図書館の人に怒られるのが怖いなぁ嫌だなぁと思っている」と感じてみると、あれ??そんなことなくない??って、気がつくんだから不思議だわ~
このワークは先週の水曜日、2024.3.20に始めたばかりなんですが、即効性が高すぎてびっくりしてます。
今までいかに自分がなかったのかが分かるし、本来の自分って打たれ弱いと思ってたけどそれは勘違いだったんだな~と。本来のわたしって、冷静に物事を捉えられるしそんなに弱くないことに気がつけて、嬉しい気持ちです。
って感じで、こころポカポカして図書館へ。ただただ素直に「この本借りてたのすっかり忘れてて、返却ずいぶん遅くなってしまってすみません」ってカウンターで謝ったら
「はい、では次回以降気を付けてくださいね」で終わった。
おわった…!ってなりました。
あまりにもあっけらかんとしていた。1週間も怯えていたのに。
多分だから、もし怒られたとしても、それはしょうがないよな、そりゃそうだよなって思えたんだと思います。怒られても当然のことしてるし、かといってその怒りでわたしは立ち直れない程傷つくわけじゃないって分かってるから。
あとは、もし激烈に怒られたとしたら、そこまで怒られることはしてない、あなたの怒りは過剰です。って思えるからかなぁ。
わたしが悪いことしたんだから、(どれだけ)怒られてもしょうがない。って心持ちとは全然違うな~と、書いていて気がつきました。
過剰に自分を責めないことで、相手から過剰に攻撃を受けることもないし、受けてもすぐに正当な守りの主張ができるようになるのかもしれない。正当な守りの心持ちがあるから、攻撃を受けたとして過剰な反応をする必要がないのかなぁ。
例えば「そんな怒ることないじゃないか!!!」って自分で感情がコントロールできなくなるとかね。過剰に怒っちゃってる。ふつーに「いや、それはあなた怒りすぎでしょ。」って、ふつーのテンションで返せるんだろうなぁと。
こうやって、文字に起こしていくのも、新たな発見があっていいなぁ。ぼちぼち書き留めていこうっと。
おわり🐈️
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