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春が聞いてたよ


涼へ

 手紙拝受いたしました。もう春が聞こえる沖縄を思い出しました。あの春の海。私は沖縄は春が一番美しいと思います。あのイノーの青が黄緑色になってまるで春の畑のように見える。胸いっぱい吸い込んだあの春の海の香りも懐かしいです。

 手紙の末文にありました、インタリュード。店のことは、来沖のたびに後ろ髪引かれています。歌姫はお元気でいらっしゃるのか?ピアノ弾きは今日もみつからないのか。もう随分お店に立ち寄っていません。むしろ、歌姫が東京でライブをするたびに、チェックはしています。ある日の夏、矢作さんが花束を抱えて、源一郎さんと私を誘いそそと駆けつけ最前列で聞いたことも思い出します。愛する対象を人はそうして思い出し、愛する気持ち、そうする事は大事だと思います。よく、喪失してから人は惜しみます。私は常に愛する心を忘れたくない、喪失の悲しみは思い出すこと、さらには記憶をしまう事で悲しみを乗り越えています。沖縄に限らず、東京も変化が著しい昨今。いちいち喪失に悲しんでなんかいられないのですが、やはりそれでも悲しい。ある日、ノートルダムが燃えた時に日本の友人知人がまるで近所の火事の様に悲しんでいましたが、私はなぜか不謹慎にもピンとこず、それを矢作さんと話していたら、彼はこういうのです、俺にとってはパリの行きつけの食堂が無くなったり、肉屋が閉店することの方がはるかに惜しいし悲しい、でも永遠なんかない、って。そして、私は思いました。近所の焼肉双葉が閉店したことを惜しんだし、最近では、牧志公設市場の変化や沖縄からまるで消しゴムでかき消されていく勢いのそんなこんなが悲しいと思いました。それでも私は、沖縄になんらゆかりもない単なる旅人、通りすがりなので、記憶のどこかに留めておけば、思い出すことができる。思い出すことでどうにか懐かしんだりできるから日常に支障をきたすこともないわけで。しかし、それでも、カーミージーが軍港になると聞いた時は、なぜあんなに美しい場を?と項垂れ夜も眠れなくなったし、夜中にこっそり見に行って、あの岩礁の亀の甲羅の上に登って、祈りを捧げた時もありました。そうそう、いつだったかあのカーミージーで海ほたるを見ました。あの幻想的な情景ももう見られなくなるわけです。浦添のあそこが軍港になることも春にあのイノーをみれば虚しさに胸かきむしられる思いです。

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 まあそんなこんなで、あそこは軍港になるわけで。伊波普猷先生の浦添考なんか誰も知ったこっちゃない。そういう沖縄に、通りすがりの旅人の私は、度々項垂れたりしますが、まあそれも仕方ない。せめて来沖の際にはせっせと通って記憶に留めておくとか、身体で感じるしかないわけです。君は那覇に生まれ今日に至るまで那覇で育って大人になりいつのまにか子の父にもなられていますが、気が向けば沖縄なそこかしこへ足を運べられて羨ましい限りです。浦添の伊波普猷の墓も、かーみーじーも、受水走水も、垣花桶川も、玉城城跡も、久高島も、自由自在に行けるわけです。私がいうのも変ですが、そういった場所は大事な場所ではありませんか?どうか後世に伝えるためにも、たまには訪れて記憶に留めておいた方がいいのではないかなと思います。例えば、琉球王朝時代から現在に至るまで聖地を巡る「東御廻り(あがりうまーい)」を行う女性たちの存在を忘れないでいて欲しい気がします。ハヤシの母ちゃんは東御廻りをやったと言ってました。いや、私がいうのもほんと、おこがましい話なのですけど。なんだか沖縄県民の心に、そう言った琉球王朝から伝わるソウルを失ってしまったんじゃないか、世がわり、戦後、そう言ったものを重ねて喪失したものを取り戻すことは大事なのかもしれないよ、とはたで思う次第です。それこそ、伊波普猷先生、外間守善先生、川平朝清さんの言葉も然り。

 そうそう、東御廻りといえば、玉城城跡ですが、夏至にはあの子宮のような輪に太陽が差し込むようですが、パワスポ信者たちがこぞっていくようですので、それもありがたいかどうなのか謎ではありますが。すっかりパワスポ観光地となってしまった斎場御嶽のことを思えば、まだそこここは守られている気がします。それも今後の行方はわからないでしょうけれど。そうそう、ハヤシと3人で昔、斎場御嶽のあの上に行きましたね。あの時、久高島が見えたあの場所に鏡があってしみじみと信仰について触れてはならぬこともあるのだと身につまされた思いでした。私は浦添の軍港予定地に、アフを見ましたが、そんなことも私の思いだけに留めておけばいいんだと、そっとしまいました。


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 アフ、青、おう、 古代沖縄人が「青の世界」を大事にしていたこと。「おう」とつく名前の多い沖縄で、中でも奥武島は「青の島」で、死後の世界の島だと言われていること。「青」を他界の色として捉えていたこと。琉球弧で礁池を表す「イノー」の語源はどこから来たのか、まさに「あの 世とこの世との間」の境界であることも、見たまま、感じるがままです。君たちが生まれ育った沖に縄を張るその島々は、それほど美しい場所なのです。まあ今更いわずもがなですが。

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 そんなこんなを、春分の日も近いこの頃に思い出しました。またいつの日か沖縄に行くことがあったら、沖縄の忘れ去られゆく風景をリベットする旅を、一緒に皆さんでまわりたいものですね。

 それでは、このコロナ禍に医療従事者として毎日のお勤めご苦労様。どうか大酒に飲まれず、日々精進して、ごきげんよくお過ごしください、元気でいてよ。

バンクーバーより🐾洞口依子




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