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この目で見てきたもの

 久しくご無沙汰な皆様。
  neeさんにも武富一門にもすっかりご無沙汰で、沖縄復帰50年というお題にも触れぬまま、黒猫はるみさんにも黒い肉の正体を教えなければならないのに、もう本当にすみません。心と頭と体の連携が上手くいかず、仕事に行くためにだけ体調を整えつつ仕事以外は全て今は休む日々であります。そんな私に筆を取らせたのが、佐藤惣之助の詩碑移設に関する記事でした、武富一門のりょーきんぐさんありがとう。

佐藤惣之助の詩碑移設に関する記事 沖縄タイムスより

 本来ならばこうして新聞記事を転載するのはよくないのでしょうがこれはちょっと読んでほしい記事でもあったのでここにおきます。なぜこの詩碑が今になって首里城公園に移設されたのかそれは私の知るところではありません。私はだけど思うのです。これで本当にこの詩を詠んだ作者の気持ちは継承されてゆくのかなと。私はその場所がどういう場所かは知りません。だけど、以前あった場所はよく知っていてそれはかつての王家の別邸であった場所、虎瀬公園の見晴らしの良い高台にありました。この記事を読むとその場所は「観光客のこない場所」となっています。移設先の首里城公園はその逆なのでしょうか。というか、観光客のこない場所に移設したのはではなぜだったのでしょうか。その間何十年もそこにあった詩碑は誰の目に触れさせるためにあったのでしょうか。それに、作者の惣之助が書いたその詩を誰か読んでその思いを同じように感じたり、訪れてその詩に感銘を受けた者はいたのでしょうか。私が言いたいことは、一つ。心はどこにあるのでしょうか?ということです。観光客の目に触れれば良い、それだけのモニュメントなのでしょうか?佐藤惣之助はアイコンではなく、詩人で、美しい詩をここに刻んだのです。しかも、彼が見たままの琉球の美しさを。それは心です。心が見た風景だと、私は思うのです。

 目では見た、でも心では感じていなかった。目では確かに見たけれど、心に宿らなかった風景など多くあると思います。しかし、心に刻まれる風景を彼は言葉に刻んだのです。風にさらわれ、風化されそうな言葉を、ここに誰かが刻んだ。どうかそれを理解して欲しいと思った、だから詩碑の置かれる場所は大事だと思ったのです。そもそも復帰前、戦後の首里城跡地にあった琉球大学敷地内にあったその詩碑。それが首里城復興で虎瀬公園に移設され、何十年もそこにあった。かつての王家別邸跡地の公園は地元の人の憩いの場ではあっても、観光客が来るような場所ではなかった。でもそこからの眺めはなるほど、詩碑に相応しい、納得な眺めでした。誰に見せよう、眺めさせよう、と、まるで惣之助が後ろで歌ってくれているようでした。移設先もそれを感じられるといいのですが。そう。私の私見ですが「心はどこにあるの?」という、沖縄復帰50年に感じることでした。やがては消えゆく浦添百景然り。心はどこにあるの?琉球王国だった時代から沖縄の人にずっとずっと美しい織物のように織り込まれている精神だと思うのですが、どうなんでしょう。

観光ってなんなんでしょうかねえ。

 ちなみに、ここバンクーバーでも観光客相手に立っていたはずの銅像が3月くらいに撤去されたということがありました。その銅像は本当に何十年もそこにいて一応、日本のガイドブックにも載っているような有名な銅像で、観光客なら誰しもが行く場所のちょっと裏に佇んでいました。印象的にこの人がここに銅像として置かれる由縁もまあ理解もできたけど、だったらその人の名前がついた地域のその目貫通り沿いになぜ置かないのかな、蒸気時計のそばでもよくない?と思ったのですが、そこはやはり色々賛否あったのでしょう、ゆえに撤去されきっと次世代には彼の名前「Gas」がその地域の名前「Gas town」だった由来も消えゆくことなのかもしれません。それもなんだか不思議だなと思うのです。

 観光ってなんでしょうね。
 土地にある歴史に触れたり、まちの成り立ちをなぞらえるのは面白いし、繁栄物語もなるほど納得ですが、この地がどうして人々と自然との共存ができたか、この地の豊かさ、自然の美しさと都会との融合はどのようにしてできたものか、私は振り返ると共に、過去と現在のレイヤーの果てに、未来図を想像する。私がこの目で見てきたものは、すぐに過去になり、私の記憶に宿るものもあれば、流れてゆくものもある。目では見たが、記憶にはとどまらないものがあるように。旅先でたくさんのものを見て、いつも思う。この地に生まれたものでもなく、ましてや暮らす、ここで死ぬ、そんな者でもない私は、ただの通りすがり。だけど、何かを感じたい。だからこの目で見てゆく。どんなものでも。美しいもの、ダーティなもの、様々に。

エッセイが掲載された新潮6月号
初書き下ろしエッセイぜひ読んでほしい


 そんなブリティッシュコロンビア滞在もあとわずかになってきたある日、新潮編集長矢野君より原稿依頼があり、全く自信喪失の中、ここにいる私というお題で書くことに。編集長は絶賛してくれて、作家や私の周囲ではまあ好評。ぜひお手にとって読んでくださいませ。感想もお聞かせください。異郷で演じるということは本当に凄いことです。この人生最大の舞台に立ち、私はとことん自由を謳歌し苦しみ悶絶しております。

 私はそんなこんなで心が多少萎んでおりますが頑張っております。頑張りは、ファンサイトでも応援してくれたり、皆さんの応援の言葉が支えとなってここで一人頑張っていられることでもあります。いや本当にいろんなものを見てしまって、帰国したらしばらく現場復帰できないと思うくらいいろんなものを見ました。それを語るのはかなり時間がかかると思います。また何れ。そして、この国で見たことをまたつらつらと書きます。待っててね。

では皆さんごきげんよう、またね。
依子



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