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川満サリーという名の女への個人的妄想


  neeさんへ

久々の書簡を嬉々と読ませていただきました。

 KADENA Air Force  じゃないけど、YOKOTA  Air Force  の米軍人と写真をとったほど、私は米軍人好きな訳でもないけれど、私は軍用機には興味があるのと、たまたま私の近くには米軍基地関係がまとわりついていたことを思い出しました。

はい。教えていただいた、沖縄の芸人ありんくりんによるこの「川満サリー」という名の女性。仰せの通り、「この島にしかない愛くるしさ」満載ですね。そして彼らのスケッチがことのほか面白い以上に、ちょっとこのサリーを目撃しにわざわざ夜中のコザを徘徊したいという妄想に駆られ、アメジョと沖縄の関係は文学的で映画的要素満載だなあと思ったりしたのでした。私は私のシネマトグラフフィルターを通じて、カルメンという名の女じゃないですが、「川満サリーという名の女」への妄想が膨らむばかりです。彼らのスケッチは何気に作られているようで、緻密だなと感じました。まず、川満サリーという名の女の生態についてです。私は沖縄の方言は詳しくはないですが、中部の女だということを毎回の冒頭の「クリスだし!」という場面で読み取ることができるようです。そして、コザの通りの深夜感がいい塩梅で映像に出ている。裏寂しい町の明かり、シャッターの前でスミノフ片手に泥酔してるサリーにカメラが寄っていくと、彼女が立ち上がり、そのまま彼女をフォローしながら横移動に延々と続くサリーとカメラのこちら側にいるクリスとのやりとり。一通り終わると、カメラ横へフレームアウトしていくサリー、それを追うわけでもなく、カメラは彼女が去った、誰もいないその場所を映して終わっている、短いスケッチだが、その感じがちょっとだけ私の脳内にあるシネマの記憶を再生させるものだから、まさかのカラックスやジャームッシュにまで至らずとも、そうか、この川満サリーという名の女の存在はなかなか面白いではないかと、今後も定点観測が必要なキャラだと思いました。

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私が知る限りの沖縄の基地周りの町を舞台に米兵と女の話といえば、昭和46年の芥川賞受賞作品「オキナワの少年」でも登場したミチコーやヨーコだったりしたわけですが、他に映画などではあったんでしょうか。あとは、96年ごろに実際にキャンプハンセン近くのクラブで目撃した自分の数倍も大きな巨体の黒人米兵に捕獲された小さな宇宙人の如くぶら下がって恍惚と踊っていた若いアメジョだったり。懐かしいです。当時、キングタコスやらシャングリラで遊び呆けていた金武の町もいまやもう怪しげな気配は消えてしまい、アンタッチャブルな映画の中の世界のような夜の闇もなく、こうして基地の町は少しずつ変化しているにもかかわらず、いまだに基地は存続し続けている、ゆえに、アメジョの存在は基地とは切っても切り離せない存在であるんだなあと。だから今の時代に、こうしてアメジョが川満サリーというキャラとして誕生してくれたことはなんだかとっても誇らしくすら思えて、彼女の放つ訳のわからないウチナーと大和グチと英語訛り?が混じった不思議な言語と髭面で胸毛見え見えの女装にも拘らず、なんだか愛らしく健気で悲哀すら感じるサリーをもっと全米に広めてはどうかと思えたほどです。かつてアメジョを相手にたくさんの米兵が街を闊歩していたさまざまな時代を経て、今、川満サリーというキャラを通じて、全米に悲喜交々を伝えたら素晴らしいんじゃないかとか。ふとそんな妄想が広がってしまう不思議キャラ。頑張れといいたいけれど、どこか遠くでじっと定点観測しているくらいがちょうどいいような。アメジョは自分の人生を愉しむために存在していると思うのですが、そこは生活のため、生きるために米兵を相手してた基地周りの女とは違うけれど、もしかしたら、ちょっと通じるものもあるような、日本の男では満足できない何かを抱えている何かです。サリーからは、帰国子女、または海外で一生懸命生きてきたけれど、日本に一旦帰るかなって帰国したけれど、日本の男には何ら満足できない海外組の女たちが抱える悲喜交々すら感じる何かがあるわけです。これは実に深いと思います。そして、私にも何かちょっとあるような気すらさせる川満サリーという名の女。引き続き静かに定点観測していきたいと思いました。そんなわけで、96年当時の金武でのアメジョ風な一枚を貼って置きます。

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