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人は人を失わない

ここのところnoteを書けていなくて、今日やっと京都の旅の続きが書けそうだとパソコンを開いた。

書く前にnoteのトップ画面に出てくる記事を眺めていたら、ふと目に留まったタイトルがあった。

わたしも本を読み始めた頃、江國香織と角田光代は図書館にあるだけ片っ端から借りて読んでいた。

神様のボートも対岸の彼女も一際、思い入れがある。

その昔、神様のボートの登場人物に似ていると言われたことがある。自分ではわからないけれど、その人からはそう見えたようだ。

それなのにこの「一度出会ったら、人は人を失わない」という一文を記憶していなかった。たぶん、この本を読んだ当時はまだこのことが自分の中に溶け込んでくるような人生ではなかったように思う。

それから15年ほど経ち、本当にいろんな人に出会ってきたなとしみじみ感じるほどにまでは人生を生きてきた。嫌な出会いもあったけれど、すべて過去のこと。その積み重ねで現在がある。対岸の彼女の一文

「人と出会うということは、自分の中に出会ったその人の鋳型を穿つようなことではないか」

言い得て妙。

わたしは人との関係は列車の旅みたいなもので、車窓からただ通り過ぎていくだけの関係のこともあれば、途中下車して深める関係のこともある。自ら断ち切りたい縁なんて恐らくなくて、そうしなくても遠くなっていくことは往々にしてあるし、少し悲しいけれど何か手を施すようなことではないと思っている。縁とはそういうもので。

その考えからすると、対極というか、そんな考えが存在するのかとあらためて人間の思考の多様性を感じた人と数年前に出会った。

彼女はラインを人に教えたがらない人で、それはまぁそんな人もいるだろうと理解できるのだが、やむを得ず交換する羽目になってだんだん大した関係でもない人が増えていくと耐えられずアカウントを作り直して、本当に信頼して繋がっていたい友人だけがいるラインに戻す。ということを繰り返している人だった。

彼女は当時の職場に後から入ってきた。フレンドリーな印象で、変わり者ということは全面に出ていたが面白いし仲良くなった。わたしは特に仲が良くてプライベートでもよく遊んだ。わたし以外の人にもオモシロネタでどんどん絡んでいける人なので、当然みんな仲良くなりたいと思いラインを聞くのは普通の流れだろう。

しかしそうなると彼女の中でそれは別の話で、わたしが最初に聞いた時も渋った。教えてはくれたが、しばらく経って上記のような癖があることを話され、月犬さんも非表示にしているとわざわざ報告された。

わたしは少し傷ついた。

それでも人のラインの管理に口出しする必要もない。わたしたちは笑い転げて楽しく過ごしながら、時には深い相談もした。わたしの中ではただ通り過ぎていくだけの人ではない関係になっていた。

それからわたしは退職し、隣県に引っ越した。それでもコロナになる前は彼女は遊びに来てくれた。

やがて彼女も退職し、別の仕事を始めたようだった。コロナもあり、もうその頃には現状を報告し合うような頻繁な連絡はしていなかったが、ふとした時にラインをしたりはしていた。しかしある時、何気ない話題でラインしたら、これはもうわたしの直感としか言いようがないけれど、いつも通りでいて何か違う返信に「あぁ、この人はわたしとの関係を終わらせようとしているな」と感じた。

それから数か月後のある朝。案の定、今までありがとうございました。という別れの挨拶がきたかと思うと、一分後くらいにアカウントが消えた。返信するつもりもなかったけれど、その一方的さに不快感が残った。そういう癖があることを知っていたけれど、実際自分がされると何という失礼極まりない行為なのかと思った。

彼女と過ごした思い出の行き場がなくなった。こんな経験は初めてだ。自然な流れで疎遠になっていった人たちとの思い出は鋳型を穿つようにわたしの中に納まってきたのに、彼女との思い出は宙に浮いたままだ。

わたしもきれいさっぱり忘れ去りたいと思うけど、記憶喪失にでもならない限りそれは不可能。なにかが引き金となって度々思い出すし、現に今朝も思い出したばかりでこのnoteのタイトルと繋がった。

彼女はどうなんだろうか?そうやってライン上で消し去った人たちとの、自分の中から消え去るはずもないこの記憶をどう処理しているのだろうか?ラインを教えたくないということは、初めからあなたとの関係は深めたくありませんと示しているようなものなのに、相手を勘違いさせるほどフレンドリーなのは何故なのだろうか?一体何がしたいのだろうか?

考えても迷宮入りなので、無駄なのだが。

彼女はわたしより11歳年下で、わたしが神様のボートを読んだ当時、この一文に心が動く状態ができていなかったように彼女もまた、人との出会いを大切にしたいという状態ができていなかったのかもしれない。

年齢を重ねてしか知れないこともある。

憎悪の念があるわけでもないのに、人との関係を断絶する行為は理解に苦しみ、今年一番の衝撃的な出来事だった。