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初めての瞑想合宿参加体験談。(6日目)


【※全文無料で読めます。】


六日目。

これまで、音が通常以上に聴こえまくるという現象に疲弊していた日々だったが、昨夜は久しぶりにそういった音たちを気にせずぐっすり眠ることが出来たので、ヴィパッサナー瞑想合宿も六日目となった今朝は、結構清々しい気分で寝床から起き上がることが出来た。


いつも通り、布団から出て毎朝内服する薬を飲み、身支度をサッと整え、トイレ・シャワー棟へと向かう。手早く顔を洗い歯磨き、お手洗いなどを済ませ、外に設置されているポットからマグカップにお湯を入れ、部屋に戻る。

その後、四時半〜の瞑想開始前の鐘がなるまでのしばらくの間、軽いストレッチをして体を伸ばしておき、その後の約二時間の瞑想に備える。


瞑想開始5分前の鐘が鳴り、三々五々、各々の部屋からホールへと集まり始めた。
とはいえ、朝一の瞑想はグループ瞑想ではないため、必ずしもホールで坐る必要は無く、自室に残って坐る人も多い。わたしもその日のコンディションや気分によって、"今回はホールで皆んなと坐ろう"とか、"今回は部屋で一人坐りたいな"など、都度都度臨機応変に坐る場所を変更していた。



定位置に坐り、自分なりに工夫して重ねたクッションと毛布の位置をチェックし、瞑想用毛布を肩から被り、眼鏡を外した。 

準備は万端だ。


三日目の午前中くらいまで悩まされていた、両脚の激痛も今いづこ、わたしはすっかり自分なりの瞑想に適した坐り方を会得していた。 


ゴエンカ氏のいつもの詠唱がスピーカーから大音量で流れて来た。
クッションの上に坐ったわたしは、背筋を伸ばし、静かに目を閉じる。


いつもならここで聴覚過敏が顔を出し、周りの音が気になりまくるあまり、神経が過剰にピリピリし出すところなのだが、今朝は今のところまだ大丈夫なようだ。どうやら、昨日坐った時に、


"瞑想を上手く行かせようと力むのはよそう。仮に上手く坐れなかったとしても、それはそれで無問題だ。ただ、在るがままを観察しよう"


と気が付いたことが功を奏している様子だった。しかし、ここでまた、"こうして落ち着いて在るがままの感覚を感じられている自分、凄えや…!"などと調子に乗るとまたそこから色々と崩れそうな気がしたので、飽くまで淡々と坐り、自身の全身の感覚をつぶさに観る、ということにのみ徹することにした。


頭のてっぺんからつま先まで、微細な一つ一つの感覚を逃さぬよう、注意深く全身を巡る"流れ"を感じ続ける。


あるところ(例えば、頭や顔など)では、チリチリ・ジリジリとした感覚が生じていたり、また、あるところではズーンとした重みが生じていたり、ピリピリと痺れを感じたり、"わたしの身体"といえど場所によって様々な感覚が生まれては消え、生まれては消えていくのがわかる。
一回目を終えると、二回目、今度は足先から頭頂部へ向けて流れを感じ始めた。


何となくだが、一回目よりもより細かな部分に血の巡りを感じることが出来ているような感触があった。
普段生活している時には気にもしないような、全身を巡る血液の感覚……。 

こうして振り返ってみても不思議なのだが、瞑想合宿中、どんどんと細かな感覚を感じられるようになって行き、気付けば"自分の"身体という所有出来る身体"などは消え失せており、ただただ"微細な血液や粒子の流れ"だけがそこに在ったのだった。


全身の粒子の流れと周りの空気全てが溶け合い、一つになったような途轍も無い心地の良い感覚の波に呑まれていた。
気付けば、四日目に感じたような心地よさとはまったく違う、全てが一つになったような安らぎと静かに押し寄せる"永遠にこの感覚を感じ続けていたい……!"という強烈な心地よさでいっぱいになっていた。


……………。

わたしは兎に角この感覚を逃すまい、と、強烈な心地よさの海に身を預けていた。



"ああ、もうここからずっと戻って来たくはない……。"



居心地が良過ぎるあまり、そんな考えが去来し出す。ゴエンカ氏の指導でも、"瞑想中は心地よさを求めてはなりません。心地よさがゴールではなく、飽くまでもその時に起こるただの現象や感覚に過ぎません。心地よさも、またその反対の不快な感覚も、すべて無常(アニッチャー)なのです…。一つの感覚に拘らず、平等に全ての感覚を観るのです。何よりも、平静さ、平静さを保つことが大切です。"


といった旨のアナウンスが繰り返し流れるのだ。ここでドツボにハマってはいけない。と、気持ちを切り替え、出来る限り冷静に、淡々と体の感覚を観つつ坐ろうと試みる。


しかし相変わらずわたしは、全ての感覚が一つと化した強烈な心地よさ(快)の波に呑まれていたのだった。この感覚を無理に引き剥がすのも何だか違うなと思ったので、仕方なしに、その波には逆らわず、ただ身を任せることにした。

波の中で、心地よさのあまり坐りながらも寝落ちしてしまいそうだった。
この時、大海原の波間を一人、仰向けになって漂っているかのような気分だった。まるでラッコみたいだな……と思いながら、大安心と心地よさの波にぷかぷか乗り、その感覚をただダイレクトに感じるのみだった。



波間に漂うラッコになったわたしは、最早"わたし"という概念すら怪しいほど波や瞑想ホールに漂う空気と一体化していた。 



今考えると、所謂"ワンネス"的な経験をこの時味わっていたと推測される。
それはとても素晴らしい経験で、なるほど瞑想を深めた人たちが"ここ"に留まって帰って来たくなくなる(そして現実界に帰って来なくなる)のも、さもありなん…と個人的に納得してしまうほどに、日常生活では体験し得ない、物凄い心地よさだった。



ハッ…!と気が付くと、二時間の瞑想終わりに流れる、ゴエンカ氏の詠唱が流れていた。
わたしはぼんやりとゴエンカ氏の朗々とした声を聞きつつ、まだ感覚として残っているさきほどの強烈な心地よさ…ワンネス(?)体験のことをポカンと反芻していた。




そして、朝イチの瞑想終了の鐘が鳴り、皆がそろそろと立ち上がり瞑想ホールの外へと出ていく中で、わたしは瞑想クッションに坐ったまま目を閉じ、しばしその場から動けず居た。





※六日目は、この朝の経験のインパクトがあまりに強烈で、その後の瞑想の記憶がだいぶ薄まってしまったため、ここで後半【七日目】へと続く……。



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