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今日は泣く日。


20時頃までは、なんてことなくありきたりな土曜日、何なら、ゆったりと過ごす幸福な休日だったように思う。
が、軽い夕飯を食べ終え、YouTubeをちょろっと観ていた時、自分の体の機能の一部が、じわじわと衰え始めている、ということの恐怖に捕まってしまった。こうやって、はっきり自覚すると非常にまずい。

いや、厳密に言うと、自覚することがまずいのではない。自覚したのち、最初は平気でも、どんどん(もう以前のようにものが見れなくなるのだ)と考え出したことが何よりもまずかった。

今、そんなことを考えてもどうしようもない、どうしようもないのだが、考えずには居られず、気が付いたらだばだばと涙を流していた。こんなにわんわん泣くのは久し振りだ。正月振りかも知れない。(ということは、そんなに久々じゃないな…)などと、意外と頭の片隅で冷静に自分を俯瞰している自分も居たりするのが、皮肉ながら面白い。


こうやって文章化していると、やっと涙も涸れてきたようだ。

タイトルにもあるように、"今日は、泣く日。"と腹を括ったのも功を奏したのかも知れない。涙が収まると、自然とざわついて大きく揺れ動いていた気持ちも落ち着いて来るのが不思議だ。

出来るだけ、感情には呑まれないよう、楽しく推し活しつつ生きて行きたい、と普段から思ってはいるのだが、今夜のように、突発的に不安や恐怖に駆られ、泣きじゃくる夜もあるのだ。
そうなったら、もう、仕方がない。
そう思って、心ゆくまで涙の出るに任せよう、それしかない、と思ってこれを書いている。

収まったと思った涙がまた出て来て、"本当にしょうがねぇな…!"と自らに苦笑する。
それでも、生きていくことしか出来ない。
つらくても悲しくても、生きることは不可逆であり、前にしか進めない。老化もするし、肉体も退化する。人によっては、まだ若くても重要な体の機能が低下したりもするのだ。


風立ちぬ、いざ生きめやも。


書きながら、大好きな、堀辰雄の"風立ちぬ"一節を思い出した。


いつか死ぬとしても、(寧ろ人間は必ず死ぬからこそ)今を生きなくては。

堀辰雄の"風立ちぬ"は、非常に美しい小説です。生きること、死ぬことの意味を深く問う近代文学のこちらの名作、お時間があったら是非読んでみて下さい。







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