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宝塚雪組「双曲線上のカルテ」観劇録 part1

注意:
(毎度のことですが)多くのネタバレを含みます。あと、今回はいつもに増して批判的な感想もあります。まだ見ていない人で、ストーリーを楽しみにされている方は(はばかりながら)回れ右して、お引き取りいただいた方がいいかもしれません。
逆に観劇後にモヤモヤされている方は一緒にお焚き上げしましょう。



フェルナンド先生(和希そらさん)の見た目はバチバチにカッコよかったよう。

前作「ライラックの夢路」を見たとき、ゲオルグ役で軍服姿の和希そらさんは顔が小さいと思ったけど、
今回はロン毛で頭の体積が大きくなったような錯覚に陥った。
そして白衣の膨張効果も相まって身体もガッシリしたように見えるという不思議…。
メガネをかけたインテリな雰囲気もよくお似合いだった。

ええ、ええ。完全にわたしの好み、ドストライクですよ。

わたしは見落としたんだけど、最後に湖で踊るときは和希そらさんは靴じゃなくて、足先が見える薄いものを履いてたらしく、それでもスタイルがいいんですよね。シークレットブーツが要らないのね(一緒に行った友人があとで靴のことを教えてくれました)

歌ウマだし、ダンスも軽々と滑らかな動きでよかった・・・けど・・・

作品がヤバかった。
ヤバいポイントがたくさんあるんだけど、一番ヤバいのは宝塚歌劇団理事長の木場健之氏だと思う。

パンフレットの「ごあいさつ」から引用
「一流の腕を持つ外科医(中略)フェルナンドと、看護師のモニカとの恋愛を軸に、真の医療とは、愛とは、そして命とは・・・という深遠なテーマを真正面から描き出します」

本気で言ってる?ねぇ?

フェルナンド先生のキャラは「倫理観」がかなりブッ壊れてたよ。

その倫理観の崩壊っぷりを4つの根拠と一緒にお届けするよー。
ソーレ!!

【1】罪を犯した人は幸せになってはならないの?


4人の若い青年たちが、誰が一番お酒に強いか争って瓶からお酒を一気飲みした結果、一人が急性アルコール中毒で倒れ、病院に運ばれるが死亡する。そこでフェルナンド先生が生き残った青年たちにブチ切れて、「お前らは結婚したり、家庭を持って幸せになる資格がない!」とか言っちゃうけど、WHY?!!!!!!!

人が死んだ重みをずっと抱えて生きていけ、というのは分かる。
でも、幸せになったらダメというのは違うくない?
フェルナンド先生って、呪いをかける魔王だったの?

【2】セクハラ・性暴力はあかんでしょう


看護師モニカ(華純沙耶さん)が末期がん患者のチェーザレ(桜路薫さん)に抱きつかれたり、体を触られたりしていやがってるのに、

フェルナンド先生(和希そらさん)「セクハラを受け入れろ。もう死ぬんだから(要約)」

モニカ →「わたしたちはキャバクラ嬢でも娼婦でもない!」

よく言った、モニカ!!そうだそうだ!

そもそも、患者さんがいきなり看護師さんに抱きつくのは犯罪。
具体的には不同意わいせつ罪でしょうよ。
おまわりさん、こっち、こっち!
(今年の6月に日本の刑法が改正されて、7月から施行されているよ!
 ちなみにイタリアでも性的暴行やセクハラは罪になるよ!)

(9/5加筆) 誤解があったらいやなので書きます。キャバクラ嬢でも娼婦でも同意なく性的なことをしたらダメだと思っています。キャバクラ嬢や娼婦ならOK!と思ってほしくないです。
医師が看護師に患者さんの精神面のケアを押し付けることがいやだなと思いますね。そして患者さんが看護師の体に触って癒しを得ることがケアの一形態というのは間違いだと思います。

【3】インフォームド・コンセントどこいった?


インフォームド・コンセントとはドクターから患者さんに十分な説明をしたうえで、患者さんが納得感をもって同意すること。

が、フェルナンド先生(和希そらさん)はなんと!末期がん患者のチェーザレ(桜路薫さん)に正しい病名を告げないのだ。
末期がんなのに胃潰瘍と嘘をついて(全然違うやん!)、さらに開腹手術までして、患者に「偽の希望」を持たせる。

モニカ(香純沙耶さん)「ドクターが患者さんに接するのは一日5分でも、看護師は24時間なんです」

モニカの言う通りだ!
嘘を突き通すときの負担が違うんだから、ドクターは患者さんにテキトーな嘘をつくなよ。
でも、フェルナンド先生の主張が通って、不必要に開腹手術をするんだなー。はぁ。

(9/5加筆) ちなみに2023年現在。胃潰瘍の治療に開腹手術を真っ先に選ぶ医者がいたら全力で逃げてください!胃潰瘍は飲み薬で治す時代です。あとは、内視鏡手術。
フィクションとはいえ、こういう誤解を与える表現はわたしはよろしくないと思うのよね。

【4】関わる女性をみんな不幸にしている


不治の病にかかり、自暴自棄で女と酒に溺れたって設定だけど・・・

百歩譲って、
酒に溺れるのは(他人に迷惑をかけない限り)勝手にどうぞ、だけど

女に溺れるのはNGじゃないですかね・・・。
フェルナンド先生(和希そらさん)のことを好きになる女性たちの気持ちを利用して、体重ねて、でも愛情はないし、大切にしませんってことなら、女性の尊厳を傷つけてませんかーーー?!
セックスだけの関係なら、お互いにそういう合意をとりなさいよ。

店の女やクラリーチェ(野の花ひまりさん)への扱いがひどいの。

でもフェルナンド先生のひどさはこれだけじゃない。
恋愛対象のモニカ(華純沙耶さん)に対してむごい。

自分の死が近いのを分かってて、モニカと深い関係になって、モニカには言わないの?!え?

それに、確実な避妊をしなかったの?どうして?自分の体に治験薬を使ってたんだよね?

ちょっと一般的じゃないかもしれないけど…、
治験薬とは…
まだ薬とは正式に認められていない【薬の候補】を健康な大人や対象の病気の患者さんが使ってみて、副作用や効果効能を確認するんだけど、そのときに使われる【薬の候補】のことだよ。

もちろん薬を使う人を登録した上で、お医者さんの管理下で薬をつかうし、結果を記録していくから、患者さんが好き勝手に薬を使うことはできないよ。

でも、その薬の候補を使った結果、病気には効いても、精子や卵子に悪影響があって奇形児が生まれるとか、そもそも子どもができないとか、そういう副作用は治験の段階では十分に把握できていない。基本はそう。
だから、治験薬を使うときはそういうリスクについて薬を使う人は最初に説明を受けるし、避妊するようにアドバイスされたりする。分からないことが多いから。

医者のフェルナンド先生がそのリスクを知らないわけないと思うし、なのに確実な避妊をしなかったとしたらクズすぎる。

自分が死んだ後、モニカ(華純沙耶さん)には子どもができてるかもしれないし、なんなら治験薬の副作用で生まれてくる子どもへの影響も妊娠への影響も分からない。

自分はまもなく死ぬことさえもモニカに伝えてないのに、
「モニカ、僕との子どもをつくろう。障害を持った子が生まれるかもしれないし、妊娠中にどうなるかはわからないけど、あとは君が頑張って産んで育ててね。僕はもう死ぬから」って絶対に合意とってないよね?!

後先を考えてなさすぎるし、モニカを本当に愛してたらそんなことしないよね?自分さえよければそれでいいのか?

ましてや、スイスとの国境沿いの故郷にモニカを連れていって、自分の家族に引き会わせて、
自分はまだもう少し残るからと先にモニカを帰らせたうえで、直後に自死を選ぶって、えらい周到だよね・・・。

なんでそんなことできるの?
自死が、関係の近い人をどれほど傷つけるか知らない?
ってか、モニカと自分の家族を引き合わせる意味はあったの?!

脱線するけど、
モニカ(華純沙耶さん)がフェルナンド先生の自殺を知ったあと、フェルナンド先生が多発性骨髄腫の末期だったことを他のみんなが知ってて、自分だけが知らされてなかったと知ったときの嘆きはめちゃめちゃ情感豊かで、抜群だった。
わたしは座席でフェルナンド先生にドン引きしてたのに、ここでは涙が出そうになったもん。お芝居が上手だとグっと観客の感情を引き寄せるんだね。華純沙耶さん、ブラボーです。

元の話に戻って、フェルナンド先生はあまりに自己中心的すぎるし、無責任すぎる。

そんなフェルナンド先生に「真の医療とは、愛とは、そして命とは・・・」と問いかけられましてもね・・・興ざめ。

高尚なことを言おうとする前に、性的同意とか患者さんへの情報提供とか基本的な倫理観とコンプライアンスを学び直してほしい。

でも、モニカはフェルナンド先生のクズ具合を全部許して、子どもは中絶せずに産んで、フェルナンド先生を今も愛している……みたいな展開。どんだけ都合がいい女なんだ。

フェルナンド先生はモニカのことを「疑う心を持たない」から好きだ、とクラリーチェ(野の花ひまりさん)に言って、クラリーチェをふるんだけど……
この台詞はもはや【どんなにひどいことをしても、騙されてくれるから好きなんだよね】と同義語だと思う。

それくらいモニカは都合のよい存在として描かれている。
セクハラのときと、インフォームド・コンセントのときはまっとうな自尊心を持って反論しててカッコよかったのになぁ(←ここが樫畑亜衣子さんの潤色部分じゃないかな?と勝手に予想してる。間違えてたら是非お詳しい方に教えていただきたいです)

原作の渡辺淳一さんも、脚本の石田昌也さんも
こういう男がカッコいいと思って題材にしたのかしら・・・。

潤色・演出を担当された樫畑亜衣子さんのメッセージを引用
「初演を拝見、原作を拝読。・・・・・・難しい。
 石田先生は最初になぜこの題材を選ばれたのだろう、とそこから探求の日々の始まりでした」

心中お察し申し上げます、って感じ。

どのあたりが原作からの改変で、どのあたりが早霧せいなさんの初演からの変更点なのか?が気になる。わたしの予習が甘くてごめんなさい。

でも、そもそも渡辺淳一さん * 石田昌也さん って掛け合わせは(ファンの方には申し訳ないけど)フェミニストは食指が動かないのよね。
観劇して、自分の勘のよさを改めて確認したよ。

やっぱり私は木場理事長に聞きたい。
なんで2023年にこの演目の再演を選んだんです?
SDGsって知ってます?
倫理観、アップデートできてます?

フェルナンド先生の倫理観のブッ飛び具合は以上ですが、
次回は、作品全体にまとわりついている女性蔑視について気がついたことを書いていきたいと思う。

長くなったので、Part2に続きます。


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