特別展 無言館 遺された絵画からのメッセージに行ってきた

2020年9月12日ー11月29日まで神戸ゆかりの美術館(神戸市東灘区六甲アイランド)で開催されている無言館の展示に行ってきた。

無言館は長野県上田市にある美術館で、第二次世界大戦で戦没した画学生の作品を展示している。現在130名分。

うち、神戸の展示では67名分の作品が展示されていた。数年前には北海道で無言館の巡回展があり、それを見てきた母曰く、前回とは違う絵が展示されていたとのこと。どれだけの作品があるのだろう。

見た後はずーんと落ち込むだろうと事前に予測していたが、打ちのめされることはなかった。作品が美しくて、その美しさや表現力を堪能したからだと思う。挑戦的な構図もあれば、写実的な絵もあり、光のあて方がきれいで温度感を伴った絵もあれば、シュルレアリズムも、宗教画のようなのもあった。

もちろん絵の横には画家さんのお名前、出身地、いつ応召したのか、どこでどのように亡くなったのか記載があり、自然と涙がでてきた。

その涙は画家さんの立場や家族の立場に自分を重ねてやるせなくて出る涙もあれば、作品に純粋に感嘆する涙もあったり、こんな素晴らしい絵を描く人をひどい作戦で失ったことに対する国家と軍部への怒りだったり、展示会場を歩きながら感情を揺さぶられて、オーバーフローした感じ。

あと画家さんのあまりの多さもショックだった。こんなにもたくさん美術を志す人がいて、才能があったのに、環境が許さず、追求できなかったんだということが迫ってきた。

絵画作品だけでなく遺品も展示されていた。彼らが戦地でも絵を描きたいと強く願い、スケッチ帳や絵筆を携行し、目にしたものを描いて家族への手紙に同封したことを知った。息子の描きたいという希望に沿うために画材屋さんを何軒も巡って絵具を買った家族もいた。だから余計に描くことが許されない画家さんの歯がゆさや無念さ、そして空っぽの白木の箱を受け取った家族の悲しさと虚しさを感じた。

たまたまかもしれないが、その家族への絵手紙の中にはグロテスクな戦争の絵はなかった。家族を心配させない心遣いもあっただろうが、美しいものを描きたいという気持ちの現れだと思った。それはそれは美しいサイゴンの風景もあった。

静岡県出身の佐藤孝さんの残した言葉が頭から離れない。彼は1943年4月に美校油絵科に入学したが、その年の12月に学徒出陣で応召。1945年7月25日に亡くなっている。

「ああなんたる人間性への悪徳だろう。なんたる自我への背信であろう。」

「作画の少なきを残念に思う」

どれほど絵を描きたいと思っていたのか、胸が苦しくなるほどだ。


展示を見たことがきっかけで、一つ戦争の知らない面を知ることもできた。

多くの学生が「卒業繰り上げ」と記載されていた。繰り上げというのは成績優秀で飛び級したのかと最初思ったが、あまりに多くて疑問に思い調べてみた。

戦争の初期(1927年)には兵役法で大学生など将来の社会を背負うエリートに徴兵を猶予する制度があったようだ。20歳で一般の国民は徴兵の義務を負ったが、たとえば大学生は27歳になるまで猶予された。その後戦局が悪化し、1939年に兵役法は改正された。猶予はなくなり、大学生も22歳から徴兵されるようになる。が、それにとどまらず、さらに修業年限を短くすることで早く徴兵するということが行われていたのだ。

なんてずるいことを国家がするのかと腹立たしかった。立法の背景や意図をなし崩しで骨抜きにしている。改めて戦争は絶対に繰り返してはいけないことと、そのために権力を監視して戦争の予兆は早めに摘んでおかなければと思った。

館主の窪島誠一郎さんの画家さん及び作品に対する誠実な詩もまた胸をうつ。是非、足を運んで見て感じてほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?