「タコピーの原罪」を読んで思ったこと。

漫画家のかっぴーです。ジャンプラで「左ききのエレン」、スピリッツで「15分の
少女たち」原作者やってます。

エレンと同じジャンプラの作品「タコピーの原罪」が最終回を迎えました。たった2巻分とは思えない、とてつもなく濃密な素晴らしい作品でした。リアルタイムで読めて良かったです。

どれだけ話題になったかはわざわざ書くまでも無いでしょうけど、毎回更新される度にTwitterトレンド入りし、PV数もジャンプラ過去最高という、怪物的話題作だったと思います。余談ですが、ネット上で「バズった」と言われる漫画のPVって、実は10万〜30万PV程度がほとんどで、ほとんどのジャンプラ作品はそれくらいのPVは出してるんですね。そんな中、タコピーは300万PVとか出してる訳ですから、世間一般で言う「バズった」の10倍を毎週やっていたと考えると、どれだけ怪物的か分かると思います。

私は映画などの影響を強く受け育った人間なので、読んだ漫画がどれだけ面白くても、直接的に何か取り入れようとは思わないのですが、タコピーの盛り上がりはさすがに異常事態と言いますか「求められてる作品が変化してるのでは無いか」とさえ思ったんです。

なので、今日は自分のためのメモ代わりに「タコピーの原罪」という作品そのものというよりも「あの盛り上がりは何だったのか?」という事を考えてみようと思います。

・毒は許容量を超えると死に至る


私はジブリ作品やディズニー作品が大好きで、よく見直しているんですが、ああいった国民的作品は「本当に伝えたいメッセージを、エンターテイメントで食べやすくしている」と感じます。強いメッセージは毒にもなるからです。これは、タコピーを読んだ方ならお分かり頂けるかと思いますが。

毒と呼ばれるものが人に害を与えるのは一定の摂取量を超えた時に起こりますよね。ちょっとだけなら、死にはしないんです。毒と言うと物騒ですが、人間には色々な食べ物を食べてみたい欲求があって、ふぐを食べてみたいとか、腐ったものを食べてみたいとか、生肉を食べてみたいとか、冷静に考えると「そこまで無理して食べなくて良く無い?」というものでさえ、食べてみたい好奇心があるんだと思います。そういった「危険なもの」を、安心して食べられるようにと、料理は発展してきました。

それは創作にも言えます。メッセージ性の強い作品は、原液のままでは毒にもなりかねない。私の後輩は父親から「成人するまで三島由紀夫を読むな」と言われていたそうで笑ったんですが、そういった「人に影響を与えすぎる作品」は存在します。それでも創作者は、新しい考え方、刺激が強い思想、目が覚める発想、そういったものを伝えたい。だから毒を毒のまま出す事をやめて、隠し味程度にした作品が、結果的にヒット作になっていると感じます。

ただ「タコピーの原罪」は、その毒を一切隠そうともせず、これでもかと濃縮して走り切りました。私は創作物って「毒を毒のまま出しても嫌われる、理解されない」と思い込んでいましたが、時代が変わったのでしょうか?

あの「タコピー」というゆるキャラが毒を隠すオブラートだ、と言われてしまえばそれまでなんですが、どう見たってそういった機能は果たしていないじゃないですか。むしろ残酷さを際立てるスパイスになっている。

結論から言うと、毒を隠すオブラートと言うか、先述した「美味しく調理する」という工程が作品内に無くても成立する構造だったのでは無いかと考えました。

・集団回避行動

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