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はじめての「漫画原作」で思ったこと

ネームを公開して作画を募集させて頂いた漫画「アントレース」が、ようやく世に出ます。

掲載号はコチラです。いまAmazonで買えば発売日には届きます!

(心の声:連載になるかどうかは今回のアンケート結果にかかっています。アンケートは電子版では出せないアナログな仕組みになっております。もし応援してくださるのであれば、ぜひぜひ紙の本をお買い求めください…!)

応援して下さっている皆さま、担当編集の林さん、そして誰より作画の隼さん、本当にありがとうございます。これからなので、より一層よろしくお願いします。


1)コラボレーションは「かけ算」じゃない

金曜日にジャンププラスで、メイキング的なインタビューが公開される様なので、その辺りはぜひそっちを読んで頂きたいのですが、この日記ではもっと個人的な話を書こうと思います。

よく、優れたコラボレーションを揶揄して「足し算ではなく、かけ算だ!」と言いますが、あれは冷静に考えてみるとピンと来ないというか、言葉足らずだと思って。

一人での制作は、積み上げ式の足し算だと感じます。1+1+1+1+…みたいに、少しづつ積み上げて行くスタイルです。この成長曲線は綺麗な右肩上がりで、スランプに陥らない限りは順当に高まっていきます。

一方、二人での制作は確かにかけ算の側面もあると感じます。しかし、引き算の側面もあると感じます。これはもちろん作画の隼さんのせいでは無いですし、原作と作画という話に限った事でも無く、コラボレーションという行為に限った話でも無く、ぼくは「全てのコミュニケーションに、意図しない引き算がある」と感じています。

思春期に読んだ本で「コミュニケーションのほとんどは失敗している。本当の意味での意思疎通はテレパシーでも無い限り不可能である。」と書いてありました。(あれは何の本だったか。養老孟司さんの本だった気がする。ご存知の方教えてください。)

それを読んだ思春期のぼくは、大変に衝撃を受けました。だからこそ、コミュニケーションの仕事をするんや!と、広告クリエイターの道を志した時期でもありました。でも広告の仕事を通じて、その「コミュニケーション漏れ」つまり、引き算がいかに乱発しているかを痛感しました。

業務的なディスコミュニケーションももちろんありますが、とにかく意匠の意図が伝わらない。それを伝えるために何度も打合せをします。広告業界は、意図を伝え意図を汲むプロ集団ですよ。それもデザイン系となれば、伝える事を学問として学んでいる人たちです。そんな彼らでも、もう全然悲しいくらいに伝わらない。コミュニケーションの精度を高める事はできても、それが完璧になる事はほとんど無い。

広告とかデザインって、余計な情報が含まれない様に「無添加の純水」を目指すんですよ。濁りは「ノイズ」とか言って、どんどん排除する。例えばモデルの髪の毛が一本跳ねていたとして、それをフォトショップで消す。これはまぁ、単純に綺麗にしてるだけなのですけど、突き詰めると「モデルの髪の毛が一本跳ねている事が意図と無関係だから」排除するんだと思います。広告のプロは、広告の全ての要素に理由を求めます。「なぜ太字なのか?」とか「なぜこの青では無く水色なのか」とか、とにかく全ては「意図に沿っているか」です。コンセプトという名の憲法に沿って、広告はつくられます。ノイズを排除しながら。このノイズを排除するという作業が、引き算を、誤解を限りなく減らす事に繋がると考えています。

この文章もノイズが多いので、正しく伝わっているか不安なんですけども、とにかく「100人が見て100人が同じ印象を持つ様に」努力するのが、広告の基本姿勢だと考えます。それは見る側のためでもありますが、作る側のためでもあるのです。それだけ、広告というものは多くの人が関わって作るのです。

2)漫画は少人数で作っているから純度が高い

では、漫画は何が面白いのか。それは「ノイズ」があるからだと思います。そして「ごく少人数で作っているから」だと思います。

大人数が関わらないので、ノイズを大いに残せる。「このノイズはどういう意図ですか?要るのですか?」みたいなツッコミが入りづらい。この意図を言語化できないノイズって、それこそ積み上げで何かの補助になっていると思うんです。

この辺は広告よりも映画で例えるとイメージしやすいかと思いますが「老若男女が観る分かりやすいエンターテイメント映画」の演技って、分かりやすいんですよね。喜怒哀楽を明確にする。「あのシーンの、あの表情は何だったんだろうか」と、観終えた後に喫茶店で一人物思いに耽る余地が無い。漫画は、そういったノイズを大いに残しても許される。その選択が許されている上で、なお分かりやすくする漫画もあります。いろいろです。でも、とにかく「許されている」というのが漫画の素晴らしい所だと思います。

漫画は日本が誇る文化であり、商業的にも巨大な商材であり、影響力も大きいエンターテイメントであります。それが、最小単位は漫画家と編集者の二人三脚で生み出されている。作家さんによっては編集いらずで一人で駆け抜けるタイプの方も多い気がします。そんな巨大な表現物を、一人や二人で作っているという極めてクレイジーな世界。これはハリウッドでもブロードウェイでも有り得ないものです。世界に誇るジンボーチョウ・ドリームです。

つまり、広告はノイズを排除した末に透明に近づく。漫画はノイズをそのまま残した濁り毛の無いビビットな色に近づく。というイメージです。

3)原作と作画が分かれるメリットは

原作と作画が分かれるメリットは計り知れません。まだ原作童貞を捨てたばかりのペーペーなので込み入った事は何も言えませんが、きっと皆さんが想像する通りに「時間が倍使える」というのが最大のメリットだと思います。原作に、作画に専念できる。それが超絶に最高なメリットです。

一方で、一人から二人、二人から三人と、漫画という「ビビットカラーの原液」に別の色が加わる訳ですから、当然濁り、引き算が発生します。これはコミュニケーションの宿命だと、ぼくは思っています。どんなベテラン作家でも、夫婦でも、兄弟でも、必ず起きる事だと思っています。漫画経験は2年ですが、人間経験は31年やってるので、そろそろ分かります。コミュニケーションは簡単では無い。

最初の足し算、引き算の話に立ち返って例えるならば、個人制作は1+1+1+1…みたいな足し算の積み上げであったけれど、コラボレーションはもっと複雑な数式になります。例えば、1+1+1−1×2…みたいな。引き算もあれば、かけ算もある、みたいな。だから「コラボレーションはかけ算だ」というのが、言葉足らずに感じるのです。引き算も、あるやんと。

誤解を恐れずに言うならば、これまたよく言うフレーズで「コラボレーションをする事で、一人では思いもよらない発想が生まれて、それもアリだな、むしろこっちの方が良いと思いました。」みたいな事って聞くじゃ無いですか。これ「無い無い」って思うんです。広告の仕事をしている中で、あるにはありましたけど、本当の本当に偶然の産物で再現性がまるで無いラッキーパンチでした。

(このテーマは「左ききのエレン」52話でも触れました。)

この「ディスコミュニケーションから生まれたラッキーパンチを肯定するか問題」は、正直いまの僕には結論は出せません。分からないというのが正直な所で、暫定的に、今の所は「無い無い」と思っています。大いなる意思すら感じる運命的なラッキーパンチ、言わば「神の見えざる手」という次元であれば「あるある」と思います。もう自分の意思を超越して、何者かによって脇道に逸れて埋蔵金にぶち当たる、みたいなクリエイターズハイ的な現象においては理解できます。でも「意図してなかったけど、何だかラッキーで良くなりました」という事に頼りたくは無い。

4)ラッキーパンチに期待しない

ありきたりな結論ですが、初めての原作者経験では「ラッキーに期待しない」を徹底しようと努力しました。これはイチャついてる訳でも無く、作画の隼さんは恐ろしい才能があります。一枚の絵で感動させられるパワーがある作家さんで、これから伸びてゆく一方でとんでもない怪物と出会ってしまった感があります。正直、ぼくがミスをしてもカバーしてくれるだけの力が隼さんにはあります。だからこそ、どれだけ「引き算」を減らせるかを考えました。

それで言うと、エレン読者のみなさんに「かっぴーの絵は熱量がある!」と褒めてもらえているのは、これこそラッキーパンチだと思っています。これは再現性が無い、偶然の産物です。実際、その評価のお陰でどれだけ助かったか、どれだけチャンスが与えられたか計り知れませんが、とにかく再現性が無いと自覚しています。再現性が無いという事は、隼さんにそれを正確に伝達する事は難しいという事です。

最近「ボールルームへようこそ」と「不滅のあなたへ」を読みました。どっちも大好きな漫画です。「ボールルーム」を読んで「絵が拙いから熱量があるなんて甘えだ、超絶美麗な絵でも、完璧なデッサンの絵でも、熱量は表現できる」と思いました。「不滅のあなたへ」を読んで「リアルな現代劇で評価を得た作家がファンタジーでも面白いのか、化け物か」と思いました。どちらも、ラッキーパンチなんて絶対に期待していない高次元の漫画です。

なので、原作者デビューとしての個人的な総括としては「ラッキーに期待しない。作画に甘えない。コミュニケーションを諦めない。」という点において、こだわったつもりです。

「アントレース」に登場する主人公の一人アキラは、伝える事を諦めたキャラクターです。自分の中にあるイメージを他者に伝える事ができないと、自分に見切りをつけてしまった少年です。これが、表現者としてどれほどの絶望なのかと思うと、涙が出てきます。アキラに洋服をつくる能力が備わっていたら「アントレース」という物語は成立しない。「アントレース」は、アキラがユウナと出会って、互いの欠落を埋め合う形で一対の表現者となる物語です。この二人は、絶対にラッキーパンチなんて期待していない。伝わらない事に憤り、すれ違う事に嘆く、完全なコミュニケーションを目指す二人です。

この想いを、ひとつの文章にして、本編の冒頭カラーページに追加しました。みなさんにお見せした第1稿のネームから、第6稿まで更新しましたし、10ページくらい追加しましたので、内容も大きく進化しています。その進化の中でも、冒頭の文章には思い入れがあります。

隼さんと出会った事で「アントレース」の二人の関係がどんどん明確になってきています。どうしても連載を勝ち取りたいと思っています。

どうか、金曜発売のジャンプスクエアクラウンを観てください!

本屋にはあると思いますが、コンビニにはあんまり置いてない雑誌ですので、宜しければAmazonで!

それでは、どうか宜しくお願いします!


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