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足助のおばさんと教育 22 高校生8

夢のつづき 8

    夢のつづき
第8回 キャンプの夜
(前号まで:高校二年の夏、由芽子はコンタクトレンズにする決心をした。)
 コンタクトの修行は、由芽子の想像を絶するものだった。皆こんな思いをしてコンタクトをはめていたのかと思うと、尊敬の思いすらわく。それでも一週間ほどで修行はすんで、由芽子はコンタクトで登校するようになった。 由芽子の近視は、相当ひどくなっていたのである。視野が広がるとはこのことかと、コンタクトレンズに感謝した。同時に、由芽子は当時出始めたクルクルドライヤーで、前髪を巻き上げることにも挑戦してみた。要するに、人並みに女の子らしくしてみたくなったのである。
 学祭の映画の小道具に「お弁当」というのが出てきて、由芽子は一生懸命可愛らしいお弁当を作って撮影に貢献した。級友の、特に男子の由芽子に対する視線が徐々に緩やかになっていくのを由芽子は意識していた。それまでは、「新聞部の跡部さん」と言えば「文芸部の塚山さん」と同じくらい男子の間では恐れられた存在だったのだ。
 二年九組の中では、定光寺ロケの延長で、一泊キャンプを計画する機運が高まっていた。場所は、中央線をさらに奥へ入った釜戸と言うところである。ただしこのキャンプ、学校には無断で行われたものである。そのため、全員参加だったわけではないが、クラスの大半は参加していた。
 なぜ無断かといえば、保護者の同伴しないキャンプに教育委員会が許可を与えなかったからである。由芽子はその後の人生で、しばしば「教育委員会」なるものに煮え湯を飲まされる思いを重ねるのだが、このキャンプがそのさきがけだったとも言えるかもしれない。
 折あしく、台風の襲来とあいまってキャンプそのものは快適とはいかなかったが、クラスメートの様々な面を垣間見ることができて、興味深い一夜だった。ボーイスカウト出身の佐藤君が、キャンプリーダーとして目覚ましい活躍を見せてくれた。雨の降る中でターフをはって、イベント会場を用意し、大原君がピンクレディーの「渚のシンドバッド」を踊りながら歌ってくれた。水田君も、どこで仕入れたのか知らないが、大勢で遊ぶゲームをいくつも用意していて、それなりに女の子に受けていた。
 由芽子はと言えば、ただただ松田君がこのキャンプに参加していないのを残念に思っていた。水田君が一生懸命になればなるほど、由芽子の心は水田君から離れていった。
 それを知ってか知らずか、その後、水田君は各テントをまわって歩き、由芽子のテントまできて、由芽子の肩に手を置いて言ったのである。
「メガネのままの跡部さんがよかったのになぁ」……
そのセリフ、その態度、同じテントの女の子たちが見ているので振り払うわけにもいかず、そのままになっていたが、その時に由芽子の気持ちは固まった。私はこいつが嫌いだ……。
 天気のことを除けばキャンプは無事終了し、クラスメートの口は固く、学校にも教育委員会にも何も見とがめられずに終わった。映画の撮影もうまくいき、後は編集のスタッフにゆだねるばかりだった。
 さて、膨大に残った夏休みの宿題と格闘していた由芽子にある日、水田君から電話が掛かってきた。キャンプ以来、意識して避けていたので、さすがに不審に思ったらしい。いつものようにまわりくどい世間話から始まって、くどくどと続く水田君の話を、由芽子はどうしたものかと持て余していた。(続く)(2008年1月29日 記)

(元ブログ 夢のつづき 8: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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