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足助のおばさんと教育 23 高校生9

夢のつづき 9(番外編)

    夢のつづき
第9回 KISS ALIVE(番外編)
(前号まで:由芽子に思いを寄せる水田君に、由芽子は手を焼いていた。) 
 西原君の話である。偶然ではあるが、高校の三年間を由芽子のクラスメートとして付き合った人物である。
 1年生の時は、松田くんとバンドを組んでいたが、2年生になって、「KISS」の武道館コンサートを再現するべく、新たなバンドを結成した。
「KISS」……。ご存じだろうか。お子さんの小さい読者の中には、「ハッチポッチステーション」の「KISSA」としてお馴染みかもしれない。あの「おなかのへる歌」の元歌「デトロイトロックシティ」が、この年1977年リリースされた。
 西原君の「KISS」に対する執着は尋常ではなく、1年生の時から教室にポスターをはりまくり、ロックに関する知識が皆無だった由芽子を驚かせた。また、机や教室の壁に「KISS」のメンバーのイラストを描きまくっていた。あの、顔に星やこうもりを描いた独特のメイクである。元祖ビジュアル系と言ってもいいかもしれない。
 その「KISS」が7月に武道館でコンサートを開いたのである。西原君がそのコンサートまで出かけたのかどうかは、本人に確かめていないので不明だが、なんでもビートルズ以来の入場者数を更新したというとんでもないコンサートだったらしい。そのコンサートを学祭で再現するという。
 西原君自身は、リードギターのエース・フレーリーを演じることになっていた。その他にも、ドラム、ベース、ボーカルそれぞれメイクと衣装をまねて、学祭の舞台に立つことになった。
 西原君は器用だった。1年生の時に、特殊撮影用のビル街やコンビナート制作の任に当たったのも彼だった。彼とそのメンバーは、「KISS」の衣装を再現するべく、便所下駄を買いに走った。「KISS」の履く背の高いブーツを作るためである。彼等は便所下駄に角材を五寸釘で打ち付け、まわりをボール紙で囲って、高さ30センチはあるかというブーツを作り上げた。その他の衣装も全てボール紙である。
 もちろん、演奏のほうの準備もしなくてはならない。毎朝毎夕の練習が続けられた。あまりのことに影響を受けた由芽子は、レコード屋でとうとう「KISS」のアルバムを手に入れた。辛気くさい水田君には、もうかまってられないわ、という心境の頃である。
 学祭の前日、西原君たちは出来上がった衣装で本当に動きまわれるのか、メイクもこらした上で、校内を試しに歩いてみた。首尾は上々、取り巻きが次々に彼等を取り囲む。後は本番を待つばかりだった。
 翌日、彼等は再度のデモンストレーションを試みた。今度は手に「KISS ALIVE 本日10時より」というプラカードを手にしている。由芽子が「よくやるなあ」と思っているそばから、淑徳の女子高生が寄ってきて一緒に写真を撮ってくれと頼んでいる。いきがかり上シャッターを押して上げた、お人好しでおまぬけな由芽子の姿であった。
 そして、迎えた本番。会場を埋め尽くした聴衆は主催者発表1500人、池田貴族もかくやと思える大観衆である。
 「デトロイトロックシティ」のオープニングに観衆の手拍子が加わる。由芽子もその観衆の中にいた。由芽子とは縁遠い、それでいて確実に同時代を共有した一人の級友の青春の一日である。(続く)(2008年1月30日 記)

(元ブログ 夢のつづき 9(番外編): Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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