足助のおばさんと介護 135
3年前にも「連句フェスタ宗祇水」という書き込みがあります。
今年3年ぶり、2度目の郡上八幡連句フェスタへ行ってきました。これが7月にあったことの3つ目です。
3年前には、宗祇水というのがなにか、しかも宗祇さんという方が、連句の歴史にとても大きな足跡を残した方だということも知らずに参加していました。というか、そういうことを学習したのはこの1年間、連句関連の書籍etc.を読み込んだおかげで、その意味でも「女性のひろば」に記事を書いたのは大きな成果でした。
もちろん、連句フェスタに「女性のひろば」8月号を持ち込んだのは言うまでもありません。しかし、今回はまた別な展開が待っていました。
郡上ではクレジットカードが使えないということは承知していましたので、前回よりも現金を多く用意していたのは正解でした。前回は優雅に「長良川鉄道」で向かったのですが、今回は岐阜駅から高速バスに乗るという、1番簡単な経路をとりました。
足助で暮らして30余年、名古屋へ出る手段に大きく3通りの行き方を覚えました。
その1は、昔から変わらず「梅坪駅から名鉄豊田線」を利用する方法です。おそらくよそから足助へ来る方もこの方法が多いでしょう。
その2は、「猿投駅から知立経由で名鉄本線」を利用します。地下鉄を使わないので、ちょっとした観光ができます。
その3が、1番時間が短縮できる「地下鉄本郷駅から東山線」です。本郷駅近くに「1日1000円」をキャッシュで払う駐車場があり、猿投グリーンロードを利用します。ETCが使えるようになってからこの行き方が増えました。
今回も猿投グリーンロードを車で走っているときに、ケータイが鳴りました。本郷駅までは時間にして30分くらいですので、車を停めてから折り返せばよいと考え、そのまま本郷駅に到着すると、着信は実家の母からでした。すぐに電話をかけ直したのですが返事がありません。幾分不安な気持ちはありましたが、そのまま郡上へ向かいました。
岐阜駅で高速バスの切符を買うとき、時刻表をゲットしたのはたまたまでしたが、その日の夜、実家の母が熱中症で倒れて、息子(実家の近くでアパート住まい)が病院へ連れて行ってくれたことを聞いて、翌日もっとも効率よく行動する道標になりました。(続く)(2019年8月13日 記)
実家の母のケータイに留守電を入れても、母は再生することができません。もちろんメールを読むこともできません。留守電メッセージが始まっては切るということを何度か繰り返して、ようやく返事が得られたのは、ホテルの部屋で一人夕食をとった後、午後8時頃でした。しかも、電話に出たのは息子です。「何かあったの?」と尋ねると、「いやあ、おばあちゃんが熱中症で倒れて」という息子のセリフを要約すると次のようになります。
母は、私がケータイに出なかったので、次善の方法として息子(母から見て孫)のケータイに電話をした。
土曜日で、午前中勤務だった息子は幸いアパートにいたので、母の異状を察して実家に駆けつけた。
母は、嘔吐を繰り返しており、薬剤師である息子は即刻自分の車で母をかかりつけの病院(息子の勤務する調剤薬局の隣)へ連れて行き、点滴をしてもらい、その間に豊橋に住む弟(母から見て長男)に来てもらった。その際、母は自分のケータイを持っていくことができなかった。
母と息子と弟が実家に戻って一息ついたところに、私からの電話がつながった。
この間に私が郡上まで行ってしまえたのは、あとから考えるとラッキーでした。最初の電話に私が応答していたら、息子の代わりに私がこれらのすべてを引き受けることになっていたでしょう。今年だけはどうしても郡上へ行きたかったのです。
しかし、母が倒れたと聞いて、早速翌日どうやって帰るかの算段をしました。
連句の集まりでは、昼食をとりながら4~5時間かけて巻くのが普通です。参加申し込みをしている以上、お弁当が手配されています。会費は当日払いでしたので、とりあえずお昼ごはんまでは参加しよう。その後は、ご無礼して早引きさせてもらうことまで決めて、岐阜駅で手にした高速バスの時刻表を見直しました。
すると、岐阜駅だけではなく、直接名古屋駅に向かうバスがあることがわかりました。本数は限られているうえに予約のみ受け付けとされています。すでに電話での受付はできない時間でしたが、手持ちのタブレットで問題なく予約・支払いを済ませて、翌朝を迎えました。(続く)(2019年8月14日 記)
連句フェスタの当日、ホテルの喫茶店で朝食をとると、現地スタッフがマイカーで参加者を迎えに来てくれました。3年前もそうでしたが、郡上ではそういう細かなサービスを心を込めてやってくださるので、とても居心地がいいのです。
スタッフに、早引きすることと、連句を巻く会場からバス停までの移動について尋ねると、それもマイカーで送ってくださるとのこと。生前のさくらももこさんが惚れたのもこういう郡上の人情ではないでしょうか。
連句実作に先立ち名水「宗祇水」前で、この日巻く3つの歌仙の発句3首が奉納されました。また、昨年の作品が木の板に清書されたものが掲示されていて、「連句の町・郡上」をアピールしています。連句とは関係のないただの観光客には、やかましい一群だと思われたかもしれません。
3年前の会場はお寺でしたが、近年の猛暑で冷房のないところは敬遠されるのと、参加者が高齢化して、座敷よりもいす式の方が好まれることから、昨年から郡上市総合文化センターに替わったそうです。同じ建物でいくつかのイベントが同時開催されていて、私たちのところにも市長さんのご挨拶や集合写真の撮影やらがありました。
40名近い参加者が3卓に分かれて歌仙を巻きます。一座の中には小学生の男の子とそのお母さんもいて、郡上連句の将来を担うたいそう頼もしい集まりでした。
持参した「女性のひろば」を、捌の先生やバス停まで送ってくれた青年などに差し上げて、午後3時20分、予定通り名古屋駅行きの高速バスに乗りました。バスは途中で乗降するお客もなく、予定より10分ほど早く名鉄バスセンターに到着し、午後6時には本郷駅まで戻りました。
帰る道すがら、「デジタル体温計を一つ買っていこう」と考え、どこかドラッグストアに寄ることも考えたのですが、そういえばコンビニにもあったよな、と思いつき、本郷駅から最寄りのファミマでゲット。実家へ急ぎました。(続く)(2019年8月15日 記)
もはや話題は連句フェスタではなく、熱中症で倒れてしまった母のことです。
大急ぎで実家に向かった日曜日、点滴を受けていくらか母は元気でした。私が買ってきた体温計で測ると微熱があるかとも思えましたが、食欲もあります。息子と弟はそれぞれ仕事があるので帰ってもらい、私一人が母の様子を見ながら実家で泊まりました。
結局それから2週間、ほとんど私は実家で過ごしました。母の主訴はめまいでしたが、夜トイレに頻繁に起きると言っては泌尿器科を受診したり、点滴も何度も受け、検査もいろいろ受けましたが、とりたてて異状があるわけではありません。
しかし、私もいつまでも実家にいられるわけもなく、明日は帰らなければいけないと母に告げたのは8月に入ってからでした。母も観念したのか自分で地域の民生委員さんに電話をすると、いきなり施設に入れてくれないかと頼むのでした。介護認定とかそういう手順を踏むことには全く気がつかないのか知識がないのか、独り暮らしの高齢者というのはとにかく情報難民であると気づかされた次第です。
民生委員さんとの会話は母が自分でしていましたので隣で聞いていただけですが、直接施設というわけにもいかないので、入院させてもらえないかということだったようです。その日診てくださったのは主治医ではありませんでしたが、病院へ行っていきさつを話すと、個室に空きがあるので「クジラを飛ばして」と看護師さんに指示を出してくださいました。
予め1泊分の着替えなどは支度して病院に向かったのですが、はっきりと入院と決まりホッとしたのが実際のところです。弟に電話でいきさつを話し、母を病室において足りないものを取りに戻り、その夜は私が一人きりで実家に泊まることになりました。
母のいない実家で一人夕食をとるより、いっそ近くの日帰り温泉で食事と入浴を済ませ、つかの間のシアワセを味わって、このブログの再開にこぎつけたのでした。
(元ブログ 2度目の連句フェスタ宗祇水 その1: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)2度目の連句フェスタ宗祇水 その2: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)2度目の連句フェスタ宗祇水 その3: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)2度目の連句フェスタ宗祇水 その4: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)
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