なぜ謙遜自慢を嫌ってしまうのか
はろーぅ。のらです。
28歳くらいからだったと思うのですが、私の周りの女友達との会話の中で
「〇〇(友達の名前)ってさぁ、謙遜しているようにみせかけて
実は自慢してると思うんだよね~」という内容の話が多くなったと
感じる時期がありました。
私の感覚としては、人間関係を良好にするという技術の中に
”相手の気分がよくなることを言う”というものがあります。
謙遜自慢している人と出会ったとき
「あ、この人はここを褒めると嬉しいんだろうな」ということが
めちゃくちゃわかりやすいので、私は謙遜自慢する人のことを
愚痴るほど嫌いではないんですよね。
だから、そんな話題がなんとなく嫌だなぁ…と思ってしまい
だんだんと女友達とは会わなくなっていってしまったのですが(孤立の道)
今まで、謙遜自慢をする人を愚痴りたくなってしまう人の気持ちを
考えてみたことがなかったので、今日改めて考えてみようかなと思います。
謙遜自慢をすることでのメリットを考えると、4つ出てきました。
1つめ:自信がないから
謙遜自慢された内容が、
自分の中で自信のないカテゴリーのもの というケースが多く感じます。
「異性と話せない…だけど恋愛したい…」という
「自信がないけど、恋愛したい。」気持ちがあるなかで
「〇〇くん(彼氏名)と付き合いました!
私って口下手で一緒にいて全然面白くないのに、、」
と言われたらイラっとすると思います。笑
こう考えると、過剰に反応してしまうのも無理ないかなと思います。
やりたいのにできないとうのは、ものすごくストレスがかかるものですから
2つめ:自分が主役でいたいから
主役=ステータスと思っている人もいるのではないでしょうか。
そして、謙遜自慢しているような人を主役のような人と思い込んでいるから
主役を奪われたように感じるのではないのかなと思います。
会社でも、社長・部長・課長・主任などステータスがあるからこそ
自分の価値を見出してる人もいるように
普段、謙遜自慢する自分=主役 という
ステータスを感じて生きているからこそ、
謙遜自慢する人が都合の悪い存在になってしまうのかもしれません。
3つめ:負けたくないから
謙遜自慢されると瞬時に
謙遜自慢する人と自分を比べてしまって
相手の方が、優れていて羨ましくて仕方がないんだと思います。
劣等感を感じて、負けたような気持ちになるから
「悔しい!負けたくないぞ!」
「負けたくないから謙遜自慢をしているアイツは悪い奴だ!」
というニュアンスで愚痴ってしまうんでしょう。
そこで共感してくれる人がいたら
「わかってくれる!?やっぱり自分は間違ってなかった!」
「やっぱり自分の方が勝ってるんだ♪やったぁ」と
自分で自分を慰めている可能性もあるかと思います。
4つめ:プライドが高いから
何か自分の中で、信念や価値観について否定されるような内容を
謙遜自慢されると鼻につくこともあるように思います。
信念や価値観を持つことはもちろん良いことですし
むしろあって当たり前なものです。
しかし、自分の信念や価値観というものは
自分自身の生き方を示すものです。
それを他人に押し付けた瞬間から、それは傲慢となり、悪にもなります。
わかりやすくするために大げさに言うと、
「へぇ、あなたはそういう考えなんだね」で済ませばいい良い話を
「いやいやいや!自分の信念や価値観は正しいんだ!」と
他人の信念や価値観の境界線に入り込み塗り替えようとしてしているから、
ムキになり、愚痴という行為となってしまっているのではないかなとも
思うのです。
総括
今思いついいてここに書き出したことは
謙遜自慢をする人も似たような気持ちなんだとも思います。
本質的に言えば、謙遜自慢をする人も
自信がないからプライドが高いから嫉妬して主役になろうとしているから
謙遜自慢をする必要があるんだと思うんですよね。
そんな似た者同士が
答えを導きだそうともせず、自分の主張をただただ言い合っているだけに見えていたから、私は嫌だなぁ…と思ってしまっていたんだなぁと思います。
ただ、このように書いていて思いましたが
私自身も、無自覚で他人にとって謙遜自慢になている言葉を
話している可能性があるような気がしてなりません…汗
人の気持ちは無限大のルートがありますもんね。
(それがまた楽しさでもあります)
逆を言うと、自信をつけたら
プライドも捨てやすくなったり、嫉妬もしにくくなったり
主役も譲れるようになるのかなと。(100%はできなくても)
謙遜自慢をするのではなく、愚痴をいうのではなく
答えを導き出し、その答えを磨く ということが
自信をつける1番の近道で、幸せな道だと、今の私は思います。
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