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年々涙もろくなる理由

意地っ張りだったわたしは、自分の弱い部分を他人に見せることが苦手で、友達の前でも先生の前でも、家族以外の人の前では泣かない子供でした。

友達と大喧嘩したり先生に怒られたり、みんなが泣くような場面でも絶対に泣かないし、
男の子が投げた木の棒が顔面に直撃して数針縫うケガをしたときも、血だらけで歩いて家まで帰り、玄関のドアを閉めて母の顔を見るまで泣かない、そんな子供でした。

そんな人前で泣かないポリシーを持っていたはずのわたしが、今ではどうでしょう。
「泣くもんか!」と思う気持ちは子供の頃と変わらないのですが、思いとは裏腹に涙腺がすぐに崩壊してしまうようになりました。

なにが悲しいのかわからないテレビを見て泣く母を、兄と顔を見合わせて笑っていたのを思い出します。
今では立場が変わってしまいました。

歳をとると涙もろくなる、とよく言います。
きっとなにか理由があるのでしょうが、根拠のある理由を調べるのは後にして、なんで泣かない子供だったわたしが泣く大人になってしまったのか、涙の理由を考えてみました。

まず、どんな時に泣けるのか?

私の泣きスイッチは日常的に入ります。

悲しいときはもちろん、嬉しいとき、感動したとき、怒った時、緊張したとき、爆笑したとき・・
心が動いたときは、だいたい泣けます。

一番まずいシチュエーションは、最後の挨拶をするとき。
引っ越しだったり、送別会だったり、卒業だったり・・・「今までありがとう」を伝える挨拶はしゃべれなくなるほどの状態になります。

泣ける理由①感謝の気持ちが大きくなった

一番まずいシチュエーション「最後の挨拶」を考えてみると、別れがつらくて泣けるわけではなく、心の底からの感謝で感極まっているようです。

人とかその時置かれていた環境とかに対してありがたいと思う気持ち、一つ一つの時間を大切に思う気持ちが大きくなったのだと思います。

わたしは、子供の頃だけでなく大人になってからもかなりしばらくの間、自分の力だけで何でもできるという勘違いをしていました。
大人になってたくさんの人に出会う中で、一人でできているように見えることでも、実際には人に支えられているんだなと実感するできことが増えていいきました。
その頃から、この手のシチュエーションの時の涙腺が崩壊傾向にある気がします。

泣ける理由②泣き所の引き出しがたまった

楽しかった記憶より、苦労した記憶の方がずっと残っていくと聞いたことがあります。
同じように、泣ける経験を積み重ねるたびに自分の中の引き出しにたまっていって、あふれ返っているのだと思います。
そして何か泣けることが起きたときに、引き出しから引っ張り出してきては自分で自分の感情を増長させて、完全に勝手に感極まってしまっているのかもしれません。

楽しいことは何度も同じことがあればその感動に慣れてしまうのに、悲しいことは繰り返すほど、臆病になってしまいませんか?

涙腺の崩壊と比例して、わたしは心配性度合いも加速しています。
心配性すぎて子供にめんどくさがられることもあり、自分でもなんとかならないものかと思っています。

少し話はそれましたが、心配性だったり、うまくいかないかもしれないことに対しての警戒心みたいなものが強くなった気がするのも、大人になりながら蓄えたなにかの引き出しが関係しているのかもしれません。

泣ける理由③涙を止める筋肉が弱ったのでは?

と、娘に言われました。
だとしたらこれは、完全に老化です・・

爆笑したときに泣けるのは確かにこれかもしれません。

そういえば玉ねぎにも弱くなってしまったけど、それもこれなのかな。

考えてみるとわかったこと

涙もろくなる=経験値が大きく関係しているような気がします。

わたしは基本ポジティブで、楽しいことを求め、思うがままに行動した結果ほとんど後悔なく生きているめでたい人間だと自分で思っていますが、そんなめでたいわたしでも、ちゃんと泣き所を蓄えて大人になったんだなぁ思いました。

そして、経験値を積んで引き出しが増えることで、良くも悪くも臆病になっている部分があるようにも思いますが、もっと増えるくるとまた変わってくるものがあるのかなと思うと、歳をとるのも悪くないのかなぁとも思います。

いろんな引き出しの整理ができるころには、おばあちゃんになっているのかもしれません。


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