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人生に計画はいらない。気分で会社を辞めても、意外となんとかなる話。

2011年の3月は、大きな大きな震災が起きた。この国に生まれて、「いつか地震は起きる」と言われて育ってきたが、まさか身近な出来事として起こるとは、思っていなかった。2019 年の春は、次の年の春にウイルスが世界を覆うなんて想像してなかったし、2020年の春は、1年後の春も、花粉症以外の理由でマスクが手放せないなんて、思ってもみなかった。予想できていた人、いるのかな? MY水晶玉とか、もってる人かな?

目次
・どんな人生にも「予想外」はつきもの。
・「転ばぬ先の杖」って言うけど、杖ってあんまり使わない。
・会社くらい、ふらっと気分で辞めていい。
・気分で会社を辞めてみた、ノラ編集者の場合。
・「途方に暮れてみたいんです」
・「ずっと外国で暮らしてみたかったんです」
・成り行きでニューヨーク、成り行きでフリーランス。
・神様じゃないから、先は見通せなくていい。

どんな平凡な人生にも予想外はつきもの。

かしこい人は、未来予測ができるのかもしれない。でも、凡人からすると、先のことはわからない。思ってみないことって、案外、起きる。大きな会社だってあっけなく潰れるし、評判はふわりとあがって、ぺしゃりと下がる。うれしいことも、かなしいことも、いつだって想定外に起こる。

不幸やドラマチックが全く似合わない「ザ・堅実」みたいな友だちは、学生時代からの恋人と結婚して、社宅に入ってお金を少し貯めてから35年ローンの家を買って、犬を飼った。子どもをふたり、作ろうと決めていた。本人曰く「順調で平凡な人生」。だが、ある朝起きたら、パートナーの姿がなかった。パジャマのままするっとベッドを抜け出し、住宅街を歩いていって、そのまま踏切に飛び込んだのだ。最後に交わした言葉は「明日の朝はパンがないよ」だったそうだ。あのお葬式の日は、馬鹿みたいに晴れていた。

「転ばぬ先の杖」っていうけど、杖ってあんまり使わない。

計画が立てられる人は、立ててもいい。たとえば会社を辞めて転職する書籍編集者はものすごく多いけど、辞めた「あと」をちゃんと計画して、転職先が決まってから、円満退職する人が多いと思う。

自分で会社を作るならなおさら、計画を立てる人が多い。目標設定し、人に会い、資金を集め、着実に行きたい方向へ進んでいく。noteの創業者の加藤さんのように、しっかり計画して、まだこの世にない新しいサービスを作る人もいる。会社の枠、業界の枠を超えようという志で辞める人もいる。フリーランスのほうが活躍の幅が広がると考える人もいる。出版業界のことを書いたけど、他業種も、似た感じだろう。

明確な目的があり、そのための計画ならいいと思うけれど、不安を消すための「転ばぬ先の杖」を用意しようと先のことを計画するって、意味があるのかな、と思う。転んだって怪我をしないことのほうが多いし、ちょっとの怪我なら杖はいらない。

会社くらい、ふらっと気分で辞めていい。

すごい目標や大きな志がない人、計画が立てられない人は、ずっと今の場所にいなきゃいけないわけじゃない。行く先が決まっていなくても、いやなら、いつでも、離れていい。いやなことがなくたって、会社くらい、ふらっと辞めてもいいと思う。歩いているうちに行きたい場所が決まることもあるし、いきなり最終目的地に着かなくてもいい。「お試し退職」で辞めてみて、「あっ、やっぱりダメだ」と思ったら、また就職すればいい。甘いと言われたら甘いけど、会社を辞めるって「人生の最終決断」ではない。その先にも決断のシーンはあるし、仕事で人生が決まっちゃうなんて、ありえない。寄り道してもいいと思う……一本道を歩むのが、好きな人は別として。

気分で会社を辞めてみたノラ編集者の場合。

わたしは30代後半で会社を辞めた。勤めていたのは小さい出版社だけれど、フレックスで、給料は安いけどヒットが出ると編集者でも印税的なものがもらえて、普通の有休の他に1ヵ月ぶっつづけで休める特別な休暇が全員にあった。やりたいことは大体やらせてもらえて、大きな不満もなく、優秀でもないくせに、ぬくぬくと過ごしていた。だから上司に「会社を辞めたい」と言ったときは驚かれ、「なぜ辞めるのか、他社に移るのか?」と聞かれた。

「途方に暮れてみたいんです」

正直にそう言ったら上司はあぜんとし、本当のことを教えてほしいと言った。人情家の彼は、いろいろな言葉を費やしてくれたが、1ヵ月以上「途方に暮れてみたいんです」「いや、本当のことを言ってくれ」と言いあい続けたら、おたがい、だんだん、くたびれてきた。小さい応接室で、何度目かのすれ違いの話し合いをしていたある日、わたしはわたしの声を聞いた。

「ずっと外国で暮らしてみたかったんです」

「何言ってるのあなた?」と思ったけど、言っているのはわたしなのだった。その日その瞬間まで、そんなこと考えたこともなかったし、実を言えばその時も考えていなかった。なぜならわたしは日本がとても好きで、海外旅行は好きだけれど、住むなら絶対に日本に限ると思っていた。「口から出まかせは、こうやって出てくるのだなあ」と、心のどこかで感心していた。

外国に行く気がなかった証拠に、「会社を辞めたらしばらくおうちライフを充実させよう」と思い、寝に帰るだけだった家の全部のカーテンをオーダーしていた。あの頃住んでいた目黒川ぞいの角部屋11階は窓がたくさんあり、形も変わっていたから、特注カーテンは小さな目が大きくなるほど高く、しかも注文したてで出来上がってすらいなかった。でも、言った言葉は撤回できない。何より上司は「海外に行くなら応援するよ」と、ようやく言葉を発したヘレン・ケラーを見守るサリバン先生みたいな顔になり、何度も取り出して封筒の角がよれよれになってしまった退職届を受け取ってくれたのだ。

成り行きでニューヨーク、成り行きでフリーランス。

仕方がないので、わたしは外国でしばらく暮らすことにし、どこの国にするか、住むにはどうすればいいのか考え始めた。行きたい国はなかったから消去法。そして半年後、無職でニューヨークにいた。途方に暮れるのが目的だから、先のことは何も決めていなかった。とりあえず1年くらい住もうと思ったが、計画ゼロ、理念も未来予想図もなし。「日本に戻ったら、違う出版社に転職するのかな」と漠然と思っていたけど、結局、なし崩しにフリーランスになって、今もなんとか生きている。

「たまたま運が良かったんだよ」と言われることがあり、それは本当にその通りだと思う。でも、運なんていつまでも続かない。今は食べていけているが、仕事はいつか無くなるものだし、突然、違うことを始めるかもしれない。でも、今はその時でないなら考えなくていい。予想や計画通りにすすんでいくことは少ないから、その気になった時まで、先のことは考えない。

神様じゃないから先は見通せなくていい。

計画を立てるのもいい。シミュレーションするのもいい。「次はこうしよう」と決めてから行動するのもいい。でも、それが100%じゃなくてもいいと思う。神様じゃないし霊感もない。お天気すらコントロールできないのに、自分の1年後、3年後を予想しようなんて無謀じゃないかな。

無計画に、無目的に、気分で。好きなようにしてもいいと思う。とくに仕事なんて、人生のほんの一部だしね。

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