海の向こうにいる親友たち

どういうわけかわからないけど、わたしの親友3人はみんな海外在住だ。3人とも別々の時期に知り合っている。一番長い付き合いの親友で30年近くの付き合いになる。そのことをメールで伝えると「えー?!知り合ってからそんなに経つの?」と驚いていた。

アトランタ、ダラス、バンクーバーと、日本との時差がかなりある場所に住んでいる同年代の親友たちは日本語メイン、英語時々日本語、英語のみとそれぞれコミュニケーションの取り方が違っている。ジュエリー職人、銀行勤務、弁護士と、みんな職業も育ってきた環境も違う。自分が持っていない面を持ち合わせているから、近況を聞いていて楽しい。楽しいけど、やっぱり直接顔を見て話したいなと思う。

テクノロジーが進んで、外国にいる友人たちとのコミュニケーションはずいぶん取りやすくなった。それでも時差はどうしようもならない。無性に「話を聞いてほしい!!」と思う時があっても、「現地時間」を考えた時に意気消沈してしまうことも多々ある。それでもあきらめきれずに「都合がいい時間おしえて。ちょっと話したいな。」とメッセージを送ると、そこは長年の付き合いで「何かあったな」と気づいてくれる。

もし親友のひとりが日本に引っ越してきたらと、想像するだけですごく嬉しい。今まで時差を考えていた煩わしさから解放される。けれども親友に依存しすぎて、自分と向き合う時間がなくなるかもしれない。頼りになる存在がいることは、とてもありがたい。だけど頼ってばかりだと、自分の状況をきちんと理解しなくなる、理由をつけて次の行動を起こさなくなる。「自分の人生なんだからね」と、言い聞かせることが増えるのかなと思ったりする。

先日も16時間の時差があるバンクーバーの親友から、「話したいな」というメッセージがきた。「うん、わたしも話したい。でもね、今、日本は平日の午前9時なんだよ。」と返事をし、週末の長話が確定となった。時差があっても、こうして近況をあれこれ話せること自体ありがたい。時差があるからこそ「親しき中にも礼儀あり」を実感できるのかな、とふと思ったりする。



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