絵と格ゲーと自信と

最近、自分の中に足りないものは、「自信」なのではないかと思い、「自信」について考える機会が増えた。

自分は絵を描くにあたっても「理論」を重視していた。それは一見確実に思えるし、人は何か成功例を理論として一般化したがるものだから、その一般化された何かを会得することが、上達の最も近道なのではないかと考えていた。

しかしそれは間違いだった。いやある意味では正解なのかもしれないけど。

「自信」には「根拠のある自信」と「根拠のない自信」があることを学んだ。前者は自分の自覚的なスキルや社会的評価があり、「だから自分は価値がある」もしくは、「自分は正しい」と自覚できるものだ。
反面、「根拠のない自信」については、そういった裏付けというものがなく、しかし、自分が感じた感覚や評価について、それなりに強い正当性を感じている、という類のものだと思う。

自分は長い間、「根拠のある自信」を求めていた。自分はそのようにして自信を構築していく類の人間だと思っていた。そして、それは「根拠のない自信」よりもリスキーであるがリターンが大きく、ゆらぎがなく、強いものだと思っていた。自分は確実性を求めていた。

しかしそれは間違いだった。「根拠のある自信」は「根拠のない自信」よりも弱い。

それは、端的にいうと、「根拠のある自信」というものが「根拠」が前提として存在しているから存在できているものであって、逆に言えば、その「根拠」が消えてしまえば、「自信」も消えてしまうことになる。

そして大事なのは、その「根拠」というものが、極めて客観的なもの、ということだ。これは一見確実なようで、危ない。評価を他者に委ねるものであるからだ。

つまり、「根拠のある自信」によって自分を支えようとすると、必然的に、他者に支えてもらう形になる。常に、自分を支えるために、他者の承認を必要とすることになる。他者の承認がなければ生きていけなくなる。

それは果たして本当に強いと言えるのか。いやないと思う。

この「自信」の話と「絵」そして「格ゲー」を絡めて書こうと思ったのは、どれもメンタルが非常に大切になる種類の活動で、かつ、努力というものがときに正当に反映されうるものでなく、いろいろな情勢によっては、自分がしたことが結果として客観的に現れなくなることに耐えなければいけなくなる可能性が高い種類の活動である、ということだ。

絵において、絵にパワーをのせるためには、自分の感覚、とりわけこれが美しいとか、きれい、魅力的だとか、そういった個人的な感情を、少なくとも描ききるまでは、ほぼ完全に信じ込んでいなければならない。そして、信じ込めたとしても、それが他者の共感や承認を得られるかどうかは、発表してみないとわからない。つまり、少なからず、描き手は、自分の感情を載せた作品を、黙殺という形で否定されることに耐えなければならない。否定された上で、次の作品を描く際、また信じなければならない。自分の感覚を、最後まで信じていなければいけない。

格ゲーにおいては、ときに自分の最善を尽くしたとしても、こっぴどいまでに敗北してしまうことはよくある話だ。初心者に送られる言葉として「まず100回負けろ」というのはよく言われるらしい。自分がいくら上手くても、またいくら努力しても、いくら難しいテクニックを成功させても、それよりも相手がうまく、相手が努力しており、より難しいテクニックを成功された場合、画面上には連続で「LOSE」の文字が表示され、それ以上の結果は何も残らない。
しかし少なくとも、そこからもう一度勝負を挑まなければ、少なくとも今以上の成長も勝利も成果もない。
自分は、負けた自分を認め、そしてもう一度戦うよう、背中を押してあげないといけない。

以上のシチュエーションを考えると、もう「根拠のある自信」では足りない。もちろん、「根拠のない自信」はときに傲慢になり得る。今後の自意識の展開によっては危険なドラッグとなりかねない。しかし確実に言えることは、自信を構築する際、「根拠のある自信」だけを求めるのは戦略としてはあまりよろしくないということだ。
私などは元来自分に自信がなく、慎重な性格だから、どうしても客観的なものを求めてしまう。客観的なもののなかで勝負をしようとしてしまう。しかしそれでは駄目なのだ。それでは足りない。心は常にしなやかで、それでいて折れない、そんな強さを持っていなければならない。

自分を認めようと思う。全ての「根拠のない自信」はそこからはじまる。自分が努力した事実、自分がこう思うという感覚、湧き上がってくる感情、これらは全て真実だと強く思おう。強くイメージできることでそれは真実となり、実際の世界にも(自分というフィルターを通して)影響を与えることになるはずだ。

自分を認めよう。そして少しずつでいいから、前に進もう。今この時間を大切にしよう。そんな風に思いながら、これから生きていけたらいいと思っている。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?