果てしない感情の先にあるもの全てを

正午過ぎ、伊坂幸太郎の『死神の精度』を購入。16時前に読了。久しぶりに本を読んで涙を流した。結末を読者の想像に委ねる1話完結型の物語かと思っていたら、各話の枠を飛び越えて回収される伏線もあり自然と笑みが溢れた(その伏線も、解釈毎に違いはあるだろうが)。

主人公は死神の千葉。人間の死を「可」か「見送り」で判断するのが仕事で、7日間の調査で「可」と判断された者は8日目に死んでしまう。といった物語。

登場人物毎に違った人生を歩んでいるわけだが、やっぱりこの部分の解像度は高くあって欲しいなと思う。物語を読むのは、キャラクターたちの人生を読むことと同義だと感じるから。今時の若者を描写している割に話自体の展開が古臭かったり、こんな奴いねぇよ的な嘘っぽさがあったりすると読んでられない。名指しで批判したくないので作品名は伏すけども。僕の肌には合わなかった。

その点、死神の精度は完璧だった。バックボーンとなっている人生や、それによって作られた思想•死生観が丁寧に描写されていた。千葉が一人一人の思想に対して余計な感情を挟まないのも尚良い。それらが真っ直ぐ自分に届く。

80年生きると言ってはいるが、自分自身思わぬタイミングで死んでしまう可能性はある。その時、怨念にも似た執念で埋め尽くされた体なのか、変わらず大切な人だと思い続けているのか、お前はどちらで在るべきか。今際の際に改めて思いを馳せた。


夜の予定に向けて、大阪に移動。普段使用するのとは違うルートで向かう。一緒に乗った路線に一人で乗り込む。もう居ない人だと再確認するために、時折、こんなことをしている。「お前の考えの至らなさで手放した」と体に刻みつけるのだ。その人が大切にしている部分に対する考えが甘かったのも、この結果に繋がった原因の一つなのだから、捌け口を求めてはいけない。そうして蓄積された感情が腐敗するのであれば、その場で死ぬべき生き物だ。

僕のこの状態は、生まれ持っての特性が故のものだ。誰かに変えられたものではない。仮に一連の出来事の帰結としてこうなっているのだとしたら、正しいことなのだ。聡明な人だったのだから、その人が判断した結果なら全て正しい。誰にも文句は言わせない。

お前は、そうした特性と、お前が口にした言葉を裏切らずに生きなければならない。お前は、過去を大切にすると言ったのだ。大事な人だと思い続けると言ったのだ。自分の吐いた言葉の意味さえ履き違えるな。死ぬことが「可」となった時、歪な肉塊となっていては示しがつかないだろうが。

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