第2章

今日からまたブログ始めることにします。

とりあえずこれまでの経緯とこれからの予定、今の思いを書いていきます。

これまでのあらすじ

2020年12月 栃木県の病院でT細胞急性リンパ性白血病(T-ALL)の治療をスタート

2021年1月 無事寛解(MRD陰性:血液細胞10万個に1個のレベルでも白血病細胞検出されず)、地固め療法スタート

2021年3月 地元金沢の病院に移り治療を継続

2021年4月~7月 白血病の治療中断、感染症の治療にあたる

2021年8月 地固め療法を再開するも、白血病再発(血液細胞100個に1個くらいで白血病細胞検出)

2021年9月 栃木の病院に戻り、地固め療法再開

2021年12月 血液学的寛解(顕微鏡では検出されないものの、MRD0.01%:血液細胞1万個に1個くらい白血病細胞残ってる状態。)で地固め療法終了。

2022年1月 維持療法スタートするも、白血病細胞の増殖抑えきれないため造血幹細胞移植(4月予定)に切り替え。

2022年2月 白血病細胞の盛り返しがすんごいなう(末梢血(体中に流れてる血液)で5%くらい白血病細胞。)

今後の予定

先生のゆうてたスケジュールによると以下の通り。ただほんまにそのスケジュール通りいけるのかは不明。

2月~3月 一度化学療法を挟む。骨髄検査の結果次第で、HyperCVAD/MA療法(6w)かCLEC療法(3w)の予定。

4月 造血幹細胞移植(と言われていたが今日先生に夏までにはするかな~ってゆわれて震えた。何ならもともと3月末てゆうてましたやん!)

半年自宅療養

半年後完全復活


今の気持ち

途中まで書いていた闘病ブログでしたが、ブログを開くと金沢時代の記憶がよみがえってきてイライラしかしなかったのでブログを中断していました。

最初白血病と宣告されたとき、担当医の先生に「ブログとかネットの情報はあんまり見ない方がいいよ。治療がうまくいってる人はそういうの書かないから。」ってゆわれて(今このタイミングでまた再開しだした自分の状況を考えても)まさにそうだなと思いましたし、出来るだけ見るのは控えるようにしてきました。

ただ今回ブログを再開した理由としては、この症例の少ない疾患の存在、乗り越え方を皆さんや同じ病気にかかった方達に知ってほしいと思ったためです(あと備忘録)。


よく白血病は運ゲー。と言われます。

他のがんと同様、遺伝子の変異や染色体異常が重なって偶然できた分けわからんタチの悪い細胞が急激に増えていく病気です。

ただそういった変異は遺伝性のものでもなく、タバコなど特定の習慣が原因でもない。また遺伝子変異数も他のがんよりも極端に少ないらしく、考えられるのはシンプルに細胞分裂の時のコピーミスくらい。

白血病の治りやすさも白血病細胞に対する抗がん剤の効きやすさで大体は決まるらしいです。

白血病になるのも運、治るかどうかも運。

そんな運否天賦の戦いにある日突然参加させられました。

1年近くというぼくにとってはあまりにも長く、人生の転換期とも言える(結婚とか仕事とかね)20代後半という貴重な時間を費やしてもぜんっぜん断ち切れるめどがつきません。

会社の人とも話をして来週からやっと社会復帰できるってところで移植が決定してしまいました。

ほんまにしつこすぎます。


けどやっぱり死にたくないし、また復活して、自分と大好きな人と会って、やりたいことをして、長生きしていたい。

本当にただそれだけです。

そのために先生、看護師さん、たくさんの人が動いてくれている。

今はそういった人たちのことを信じて突き進むしかないと思ってます。

またこの病気を通じてそういった人たちへの感謝、生がどれだけ脆く、儚く、かけがえのないものなのかも重々認識することが出来ました。自分の人生も何―――――度も見つめ直しました。深い話もそれなりには言えるつもりです。


でもまあ結局、一言でまとめると、

病気直したいっす。

以上。あざっした。


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