第2章完

お久し振りです。のっぽです。
タイトルにもあるように、この度無事造血幹細胞移植を終え、明日本退院する運びとなりました。

途中経過も残しておこうかなとも思ったのですが文章を書くのがだるかったのでやめました。
ただ人間の頭は良くできているのか僕がボケているのかはわかりませんが、この2ヶ月間間違いなく群を抜いて人生でいっっっっっっっちばんつらい時期だったこと自体は覚えていますが、細かな症状やどんな時間の過ごし方をしていたのかがぼやっとしか浮かんできません。きっと防衛本能的な何かが嫌な記憶を必死に覆い隠しているのだと思います。

治療を終えた感想は、本当に長かったです。終わってみたらあっという間だったとかいう表現は一切出ず、ただひたすらに真っ暗なトンネルをずっとずっと走り続けてきました。
頭の悪い言い方をすれば、クッソ長かったです。

そのせいか、明日で退院できるという実感はまだ湧いていません。明日からどう過ごしていけばいいのか脳内でイメトレを今日一日していたのですが、さっぱりわかりません。
多分手持ち無沙汰でフラフラしていると思いますので、お暇な方はふらっと遊びに来て相手して頂けると嬉しいです。



とりあえず今日で闘病に一区切りつけることができたので、今の気持ちを正直にまとめておきます。

まず今回の移植治療を通して沢山の方々に支えてもらい今日まで命を繋ぐことができました。
お医者さん、看護師さん、薬剤師さん、理学療法士さん、家族、友人、、、
移植治療中は本当に体がズタボロになり、精神的にしんどいとかいう次元ではなく物理的に周りの支え無しには生きてはいけませんでした。
生きるために必要だったのは、携帯でもなく気持ちでもなく、栄養補液と免疫抑制剤に24時間繋がれた点滴台でした。
変な話ですが盛り無しに、仮に天災など有事のタイミングだったら真っ先にくたばっていたでしょう。

また、白血病という病は50年前には不治の病と言われていました。20年ほど前に移植治療の枠組みが形作られて以来、治療法・生存率は本当に日進月歩で向上していきました。その裏にはたゆまぬ努力で治療法を見直してきた医師や研究者、命を救おうと新薬を開発する製薬企業、現場でのノウハウを蓄積、継承してきた看護師、こうした方々のおかげで今日の治療を受けることができました。

僕は個人的には、この治療は自分の努力のおかげで乗り越えられたとは1ミリも思っていません。
僕は医学に命を救われたんだと思っていますし、ただただ周りの方々に救われたのだと思っています。
本当に感謝してもしきれません。
今後の見通しは明確にはついていませんが、体調が落ち着けば、少しでもそうした方や社会に恩返しをしていけたらいいなと心から思っています。


そしてこの闘病中、たくさんの景色が見えました。
中でもSNSを開けば周りの友人や会社の同期はやりたいことや仕事に没頭し人生を謳歌している様子が目に飛び込んできます。
かたや、社会から隔離された病室という空間でひたすら天井を見つめて時が立つのを待っている自分。
心が何度も押しつぶされそうになり、彼らと自分は何が違うのか、考えても答えは出ませんでした。

そこで考えるのをやめました。正確には人と比較するのをやめました。

思えば自分はこれまで順当に人生を生きてきたと自負してきました。
高校まで部活に打ち込み、大学、大学院、社会人とストレートであがり、ダンスやバーなどやりたいことを両立してそれなりにクオリティの高い生活を送ってきたと思っていました。
ただ、思い返してみると、いつしか気づかないうちに人と自分の人生を比較をして、これくらいの位置についておけばそこそこ幸せであろうと予測を立てた上で行動を起こしていたことに気づきました。
この態度そのものに原因があったのです。
人と比較をすることに本質的な意味はちゃんちゃらなかったのだと。
ですのでこれからは自分のやりたいことは何なのか、自分の軸は何なのか、そうした部分を大切にして生きていきたいと思います。



僕のことをよく知っている人であれば薄々お気づきかと思いますが、普段こういった真面目なことは言うたちではないので、文章を書くのが疲れてきました。
また慣れないことをしているため要点のまとめが雑になってきたことに気づかれないうちに(おそらく半数以上は気づいている)ここらへんで書き収めたいと思います。
また気が向けば色々思うところを書いていければと思います。
どうも、あざっした。

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