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渡る中国にも鬼はなし(24/67)

第4章 中国第3日目 蘇州->上海->昆明 
ひとりぼっち


  しばらく思案していると、後ろからどやどやと一般客が搭乗し始め、私は入り口でじゃまをしていることを感じましたので、じゃまにならない位置まで車イスを移動し、乗客が乗り終えるまで待ちました。我が訪中団の方数名も私のそばに心配そうに自分の席に着かずに残っています。ヒマラヤのようにそびえたつ言葉の壁がなければ、訪中団とスチュワーデスとの春闘交渉もできたでしょうが、さして上手に中国語ができる人もいませんでしたので、ここはまだ片言でも英語のできる私が道を開く必要がありました。

 そういえば私の名前は道廣といい、略字で書けば道を広くするという名前ですので、そういう意味を込めて両親が名前を付けたのだとすれば、こういう機会にその両親の意向に添うこともまた、親孝行なことかも知れません。もちろん、そのときにそんなことを思うほど余裕があったわけではありません。

 本当に聞こえていたかどうかは分かりませんが、私の耳にはボーイング767型機のジェットエンジンが出力を上げ「はよせんと、飛び立ちまっせ!」と(関西弁で言ったかどうか分かりませんが)うなりを上げているように感じましたし、定時出発まであまり時間がないことは分かっていましたので、とにかく何とかしないといけない焦りのようなものがありました。きっとそのとき私の顔はかなりの緊張感でこわばっていたのだと思います。

 英語で「通路が狭いので、車イスは通過できない。だから入り口に近い座席に座らせてほしい」ということをぺらぺらと話せたら良かったでしょうが、しどろもどろで話したというか、訴えたというか、叫んだというか、数分ほどしゃべりまくりました。しかし、その後、私が座りたい座席を1秒ほど指さしたジェスチャーが一番中国人のスチュワーデスにはよく理解できたようです。

 なんとか意味が通じ、訪中団の数名の男性に車イスからビジネスクラスの特等席に抱え上げてもらい、無事ランディングできました。周辺にいた中国人の乗客は見慣れぬ光景にしばらくびっくりしていました。

 介護してくれた訪中団の男性も後方のエコノミー席に去り、私はただ1人になってしまいましたが、こういう珍しい体験をできることを感謝していました。と同時に、そこには何か深い訳があることは理解していました。

渡る中国にも鬼はなし(25/67)


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