見出し画像

北京入院物語(41)

  結局、国際医療部にいたのは9月上旬から10月下旬までの7週間でした。
今から振り返ると、看護師は無愛想でつっけんどんだと思っていたのは軽率で、一般病棟に移ってみるともっと無愛想な看護師に遭遇し、やはりそれなりに気をつけていたのだと感じました。

 しかし、これも後でわかったことですが、国際医療部の看護師というのは全員少しは日本語ができたということです。
ところが、私が辞書を引きながら苦労して中国語でコミュニケーションをとっているにも関わらず、ただの一度も日本語で話しかけてくれなかったのです。
 ただ私にまったく関心がなかったかというとそうでもなく、これも後から看護師長の王さんから聞いたのですが、「みんなであの日本人はすごいということを話している」と聞かされました。

 この国際医療部は責任者の葉先生を迎えて以降大きくなり、サービスもはるかによくなったと聞いています。
病棟にレストランを設置するというのは賛否があろうかと思います。
しかし、葉先生は、中国食に慣れない日本人のために、中国のコックにカレーライスの作り方まで教えて、メニューに加えたという気の使い方だったのです。

 本来葉先生のことはもっと書かねばならないのですが、なにぶん「中国に来るのはやめなさい。お金をドブに捨てるようなものです。」と一刀両断された記憶もあり、入院早々のときに挨拶にお伺いしたことを除くと、まったく会っていませんでした。

 後での話しになりますが、先生の方も、単身渡航してきた私を気遣い、数回私の部屋をたずねられたそうです。
 ところが私は朝晩、お経を上げるという少々変わった人で、頼みもしないのに周さんがドアに入室禁止という張り紙をしていたことを知らなかったのです。
葉先生からその話を聞かされ、平謝りしたのですが、そのせいで先生とは縁が遠くなっていたのです。

 結局この国際医療部を逃げ出した最大の理由は医療費の高さで、按摩も針治療もやめ、朝晩の漢方薬の服用に切り替えて節約しても月20万円弱かかりました。
北京入院物語(42)


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?