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北京入院物語(80)

 単にちょっと背筋が回復したことから人生論・幸福論にまで踏みこむ必要などさらさらありません。
人生論など勘弁してよと言われれば、そのとおりと申し上げる以外ありません。

 「さて」というのは、話題を変える場合の接続詞の一つですが、重い話の後だけに、「さて」では軽すぎます。
閑話休題。
 包さんは中国の中央部、四川省の重慶という貧しい地方から出稼ぎにやってきました。
彼の貧乏な生活ぶりは、いつの間にか私に影響を与えずにはおきませんでした。


包さん

たとえば、彼は穴をかがって、つぎはぎだらけのセーターや靴下を着ていました。
もう何年も服を買っていないと言います。
 お弁当をチラッと見る機会がありましたが、ご飯の上にもやしを辛く炒めたものが上にあるだけです。
肉は週1回でダイエットしてるわけではありません。
お茶を飲む習慣はなく、白湯を飲んでいました。
靴は足袋のような底の薄いゴム製で、1足30円だけに、すぐ穴が開きました。

 当時、レンガ作りの四畳半2間に、姉夫婦と包さんと弟が住んでいましたが、家賃は4000円を折半、給料の残りを毎月両親に送金していました。
毎日中古の1800円の自転車で通勤しています。
およそ、贅沢というのはどういうものか、経験したことはなかったと思います。
北京入院物語(81)

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