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北京入院物語(6)


なにぶん単独渡航ですので、北京首都空港には出迎えの車を手配していました。
その車に乗って、中日友好病院に向かいます。
 中日友好病院は日本国政府の無償資金協力で、中日両国政府の協力により建設した近代的な病院です。
1981年12月着工、1984年10月に開院されました。
ベッド数1300床(西洋医学900床、東洋医学400床)、看護師800人、医師300人、総職員約3000人と言う北京でも最大の総合病院です。
提携関係にある愛知県の協和病院に日本語で紹介が載っています。



中日友好病院

 あたりはすでに真っ暗で、どこを走っているのやらさっぱり分かりません。
叶琳とは受験英語に毛が生えた程度の語学力では、そうそう気軽に世間話も出来ません。
一方叶琳は毎日仕事で外国人相手に英語を使っています。
はじめは少し分かっていても、彼女は話し出すと早口となり、そのうち段々分からなくなり、途中からは彼女の話す流麗な英語を呆然と聞き流すだけとなりました。

 車が止まった場所は、中日友好病院国際医療部の正面玄関で、正面入り口からはちょうど反対に位置し、いわば病院の裏口から入ったような形となりました。
 葉先生は国際医療部の総責任者で心血管内科副部長、バリバリの西洋医でしたし、多くの日本人が中日友好病院に入院し、ほとんど改善も見られないままに帰国する姿も知っていました。
 私は漢方治療といってもさほど期待していないと言いました。
そして「治療効果がなくとも帰国時に日本海に飛び込んだりしない」と冗談交じりに言いました。

 葉先生は入水自殺をしないというこの言葉を聞いて安心されたようで、裏を返すと日本の病院を転々と渡り歩いた挙句、すがるように中日友好病院の門をたたく日本人が多いことも察することが出来たのです。
なにしろ、(ご存知のように)万里の長城に登りたいので入院するのが本音ですから、治療効果は考えてないというのは正直な答えです。
こういう軽い姿勢が先生には気に入られたようで、「それではいらっしゃい」と入院のお許しがやっと出ました。
 この葉先生という方はものすごい経歴の持ち主で、両親、兄弟と5歳で中国に渡り、敗戦の引き上げ時に、ただ1人16才で中国に残り八路軍に参加、中国人と結婚し、中国に帰化した方であることを後に知ることとなりました。
葉先生とはこの後、親密になるのですが、なにぶんコレクトコールで5000円をむしりとられ、「来るな」といわれただけに警戒感というか、怖い人という印象はなかなかぬぐえませんでした。


 
 葉というのは実は叶という中国語の日本語表記とでも言うもので、一方の叶からは来なさいと言われ、一方の叶からは来るなと言われたことになります。
北京入院物語(7)

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