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霊能者あるある

タイトルがベタです(;^_^A改めて変えるかも。

さて、

パワーストーンにハマって、今で言うところの「スピリチュアル」に足を突っ込んだのは16歳の時だった。

きっかけは「my birthday」というおまじない雑誌。

コンプレックスの塊だった、自分の抱えているものをどのように解していっていいのか分からずに、手っ取り早そうな「おまじない」というものに手を出した。

雑誌には少女達が叶えたいであろう、願望と欲をくすぐる「おまじない」グッズが並び、原宿には直営店があった。

小遣いを握りしめて行きたい衝動を抱えてた。

小遣いは出来高制だったので、大金では無いにしてもほどほど持っていた。

出来高というのは、学校の成績表で小遣いが決まる。

当時は1学期から3学期まで学期が分かれていて、その都度、成績表が渡されるので父に提出した。

父は成績表を見て次の学期末までの小遣いを成績表に挟んで返してくれた。

それは小学生の頃からだったので、自分でお金を使う量を調整して好きなものを買っていたし、すごく努力をしないにしても、ほどほどの成績をキープしておかないと小遣いが減るのでほどほど頑張った。

なんで勉強するのか?って、お金のためと、生きていくための選択肢は多い事に越したことないと理由でした。

高校3年ではアルバイトも始めたので、気持ちに余裕が出来た。

高校1年から3年の間は、休みの日には渋谷でパワーストーンを物色して、原宿でおまじないショップに行き、占いの館へ通った。

その時に鑑定して頂いた先生には今でも鑑定してもらったりしている。

時は流れて、、、

母が亡くなった。

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