英日の1人称の話

英語と日本語の表現の違いを初めて認識したのは、小学6年生のときだ。きっかけは、Harry Potterの原語版を母に渡された時。
当時、そのシリーズにハマり、本物読んでみたい!と言った私に、図書館から見つけてきてくれたものだった。憧れの「本物」はわけわからずちんぷんかんぷん。それでも思ったことがあった。

1人称って、意訳なのでは?

Harry Potterシリーズは、個性的なキャラクターが多く登場する。そのため、使用される1人称にも差が出てくる。
魔法界の大物であるダンブルドアのは【わし】。
田舎出のハグリッドは野性味を感じる【俺】。
ハリーとロンは【ぼく】、ハーマイオニーは【わたし】。
日本語版を読んでいる時はなーんにも気にならなかった。

そこで、原語版を読むとどうだろう…。
そう、全部 I である。

え、てことは訳者の松岡さんが勝手に付けたってこと???はぁーーー。翻訳家さんてすごい。
これが当時、小学6年生の私の感想。

てことは訳者が1人称を操作してるの?
はぁーーー。怖えなあ。
これが今の私の感想。

そもそも言語として人称代名詞の解像度は格段に日本語の方が高い。(そもそも人称代名詞の立ち位置が英和で異なることは棚に上げさせてくれ。)例に挙げた1人称の他にも、拙者、おいら、とかもある。2人称であれば、あなた、お前、貴様、君など。逆に言えば、英語のように万人が自由に当てはめられる人称代名詞がない、とも言える。【私】は一見ニュートラルな表現に見えても、なんか畏まったイメージをもつし、比較的女性が使いそうと思う人は多いんじゃなかろうか。

日本語の人称代名詞は、気持ちが入ってしまうので、I しかない英語から訳すには、日本語という材料からなにかを当てはめる必要がある。そのために、訳者のセンス(という言い方は好きじゃないけど)が問われるところなんだろう。
訳者の良し悪しで作品の価値は変わってくる。訳者も著者と同じく、単なる仲介人ではなく表現者である。それが翻訳物の良いところなんだろう。

それでもやっぱり、私は訳者の目を通していない文章を読みたい、と思った。私が感じたように物語に触れたい、と思った。英語の世界は、英語で向き合いたい、と思った。

『言語の違いは世界の切り取り方の違い』

これは高校時代の政経の先生が言っていた言葉である。日本語と英語を知っていることで、どちらかだけでは分からないものが見えてくるという期待を込めて、私は今まで英語を勉強しているんじゃないかなあ。

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