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変換人と遊び人(25)(by フミヤ@NOOS WAVE)

面白きこともなき世を面白く⑧
~“遊び”概念のフラクタル性に基づくネオ「ホモ・ルーデンス」論の試み~

自らの内部でなにかがストンと「腑に落ちる」感覚は、心理学でいうアハ体験のように大きな歓喜をもたらす。そしてその歓喜は岩戸開きに際して八百万(やおよろず)の神々が叫んだ台詞、「阿波礼、阿那於茂志呂(あはれ、あなおもしろ)」15)を思わず口にしたくなるような感慨を伴う。そんな「アハ!」「あはれ!」体験があればこそ、「なるほど、そういうことか」と腑に落ちた瞬間に生じる新たな認識は、はじめて心の奥深くにアンカーを下ろせるのだろう。 それは大いなる気づきまたは内的な有機結合ともいえるし、想起(アナムネーシス)の体験と捉えてもいいかもしれない。似たようなことはヌースに接するうちに多くの方が何度も経験されただろうし、私自身も新たな気づきをやはり何度も意識に刻みつけてきたように思う。
 
というわけで本稿では、最近のそんな我が体験を報告しておきたい。ひとりでも多くの方と共有できればと思うからだ。しかしこの直近の内的体験はヌースが含むさまざまな考え方や概念、それらの結合などのいわば内包要素が対象だったこれまでとは違って、ヌーソロジーをヌーソロジーたらしめるというか、ヌーソロジーがヌーソロジーであることを確実に担保する基盤的な“場”または“コーラ(khôra=受容器・受容者)”とも呼ばれる母胎的環境とその形成プロセスの一端に対して「アハ!」「あはれ!」感を覚えるというものだった。これまで本論ではヌースの内包要素を万華鏡内の色つきピースに喩えてきたけれど、それに沿っていうなら今回は、色も形も異なる多数のピースをたんに収容するだけでなくそれらを育んで結合させ、さらにはダイナミックに跳躍、飛翔させもする“場(コーラ)”としての万華鏡本体(筐体)を前にした体験だったことになる。
 
きっかけは、半田さんからの“贈り物”だった。先ごろサロンのメルマガを介して贈られた、詩人・河村悟さんによるレクチャー(2000年のクリスマスに行われたもの)の動画である。お馴染みの「君と君の君」「まったき等価性」という強調フレーズが繰り返し用いられる奥深いレクチャーを拝聴しながら「河村さんという方はテキストだけでなく、口頭でもやはりメタファー使いの達人だったんだなぁ」と思ったその瞬間、「ああ、もしかすると!」と閃くものがあった。私はそれを確かめようと椅子から立ち上がり、書架からやや薄手の冊子を抜き出した。そして再び腰をおろして、そのボロボロになった青い表紙をめくった。それは手にする度に、ヌーソロジーに接しはじめた頃の鮮明な記憶を条件反射的に蘇らせてくれる表紙なのだ。
 
ヌース歴がさほど長くない私には今年(2023年)2月に惜しくも他界された河村さんに実際にお目にかかる機会はなかったけれど、『シリウス革命』(以下『シリ革』)には「愛を語るには吃(ども)らなければならない」という印象的なフレーズとともにプロフィールが紹介されていたことから、河村さんという詩人がいらっしゃることは2018年春の時点で認識していた。そしてまさに同書の初読を終えた頃、詩人の作品にはじめて触れて大きな衝撃を覚えたのである。それは忘れもしない、同年4月末に京都で行われた川瀬統心さん『ワンネスは2つある』出版記念講演会に駆けつけた日の翌朝、東京に戻る新幹線車内でのことだ。『未来の巣に残された最後の卵』と題されたその特別寄稿作品は、前日の記念講演会の場で関西ヌーソロジー研究会関連の資料とともに購入した冊子phonio(vol.2)」の巻末に収められていた。新幹線の座席でこの冊子をパラパラめくっていると河村さんのお名前が目に入ったので、てっきり詩人によるエッセイだと思い込んで軽い気持ちで読みはじめたのだが、途中でその思い込みは大間違いだとわかった。正直にいえば、あまりにも豊饒な哲学的メタファーの海に溺れかかったのである。「わわわっ、この寄稿はエッセイじゃない!体裁としては散文でも、これは詩だよなぁ。しかも多くの哲学概念がメタファーとして用いられているんだから、哲学散文詩にほかならないじゃん!」と思い直し(本来ならタイトルを読んだ時点でそう捉えるべきだった)、あらためて“詩に臨むスタンス” (「意味」を求めるのではなく表現をそのまま受けとって自らの内に収容し、イマジネーションに委ねる態度)で、最初からこの散文詩をじっくり味わうことにしたのだった。
 
哲学の研究者でも学徒でもない遊び人の私は、田舎の高校生だった頃からプラトンにはずっと親しんできたものの、ほかの西洋哲学者でまともに触れたことがあるのはサルトルハイデガーとなぜかウィトゲンシュタインぐらいだ。だからその当時はまだベルクソンにもドゥルーズガタリそして二人ひと組のドゥルーズ=ガタリ(以下、D&Gと略記)にも直接触れていなかったため、作品内の多くのメタファーの具体的な源泉は想像の埒外だった。とはいえ、ヌーソロジーに紐づく哲学者が用いた概念だろうという察しはついた。いずれにしても、哲学者たちがそれぞれの思考を最終的に言語化した概念(それら自体がメタファー表現でもある)をさらにメタファーとして縦横無尽に用いるメタ・メタファー的ともいうべき手腕と力量に圧倒され、そこに大きな衝撃を受けたのだった。加えて、「ことば/言葉」と「言語」という二つの語が絶妙に(しかもその三種類の表記で)使い分けられている点には「さすが詩人!」と感服させられたし、「わたしたち人類はほんらい、死だけを持つというべきだったのです」という「死」に関する記述にも大いに心を動かされたわけだが、気がつけば新幹線はあっという間に東京駅に到着していた。二時間あまり詩人の世界にどっぷり浸かっていたことにはなるけれど、まだまだ浸かりきれていない部分や収容しきれない点はたくさんあった。しかし、作品の最後の頁にさりげなく記されていた「※編集部註」が救いの手を差しのべてくれた。そこには、この作品が過去に行われた河村さんの「レクチャーの内容に基づくもの」である旨の記載があったのだ。東京駅に降り立った私は「そうかそうか!ということは、それを実際に聴いた人にしか把握できない部分があってもおかしくないよねぇ」と自らを慰めたり、「その動画かDVDがあればいいのになぁ」と思ったりしながら家路についたのだった・・・・・・。
 
さて、今回の半田さんからの“贈り物”「詩人の経済学・後編」は、上述のとおり2000年12月24日に行われたもの。拝聴しながら「もしかすると・・・」と閃いたのは、この“贈り物”動画と、2003年に刊行された青い表紙の冊子に収められていた作品『未来の巣に残された最後の卵』の元になった“過去のレクチャー”との間には、なにかしら紐づく要素があるように感じられたからだ。早いハナシ、その“過去のレクチャー”が「詩人の経済学・前編」であってもおかしくないような気がしたのだ。というのも、五年半前には見当もつかなかった作品内のメタファーの大部分がベルクソン、ドゥルーズそしてD&G由来であることがそれぞれの著書にその後直接触れることで把握できた(すべてではないが)こともあって、上記哲学者たちの考え――とりわけD&Gの『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』に示された思想・概念――が“贈り物”と散文詩「作品」に通底する要素のように思えたからである。
 
そこで私は、かつて一時的に救いの手を差しのべてくれた「※編集部註」の記載内容を確かめようと冊子を取りだしたというわけだ。河村さんによる特別寄稿の元になった“過去のレクチャー”のタイトルが記されていたという微かな記憶もあった。そしてミステリーの謎解きにチャレンジするような気分で頁を開いところ、やはり記載はあった。しかしそこにあったのは、“『未来の巣に残された最後の卵』は平成10年に行われた「メタフェロン・レクチャー」の内容に「河村氏が加筆修正をおこない作品化したもの」”という説明だった。「メタフェロン」とはたぶんメタファー学に関連する語なのだろうが、ともかく「詩人の経済学・前編」ではなかったということだ。
 
「あらら、そうか。思惑が外れたということか」という思いとともに、「ところで平成10年って、西暦では何年だっけ? “贈り物”の2000年より前か後、どっちだろう」という単純な疑問が生じたのですぐに調べたところ(調べなきゃわからないのか!とお叱りを受けそうだが)、1998年だとわかった。「やはり“贈り物”以前か」と納得すると同時に、これまで我が念頭にはほとんどなかったヌーソロジーが刻んできた軌跡に関する重要なファクト(事実)に気がついた。すなわち、いまから四半世紀も前の少なくとも1998年~2003年という世紀を跨ぐ時期において、「メタフェロン・レクチャー」「詩人の経済学・前/後編」という、上記哲学者たちに触発された格好のレクチャーが詩人・河村悟さんによって少なくとも三回にわたって(おそらく集中的に)行われ、またそのうちの一回の内容に基づいて哲学散文詩が創作されていた、という明白なファクトである。河村さんによるこの種のレクチャーや創作は実際にはもっと多かっただろうし、期間も上記より長きにわたっていたのかもしれない(ベテランエキスパートの方々ならそのあたりは先刻ご承知だろうが、リアルタイムで経験していない者は推察するしかない)。とはいえ私が「アハ!」「あはれ!」感を得るには、これら明白なファクトだけで充分だった。
 
そんな明白なファクトを認識すると同時に、「河村さんは当時、ベルクソン、ドゥルーズそしてD&Gの思想・概念のうちにオコツト情報との接合点や重なる部分を少なからず見出されていたに違いない」という思いが湧いた。さらに、これはじつに失礼でナマイキな推測になるけれど、半田さんは河村さんとの親交を通じて、上記哲学者たちがそれぞれ練りに練って創造・創出するに至った思想・概念群がシリウス言語(とその文脈)を的確に解釈、咀嚼し、さらに適切に記述、表現するには最適にして必須のアシスト要素/フィッティング要素を豊かに内包していることを見出され、したがって彼らの思想が当時の「ヌース理論」にとって必要な哲学であることを確信されたのではないか、とも思えた。「メタフェロン・レクチャー」が1998年に行われていたというファクトを考慮すれば、必然的にそんな推察に導かれざるを得ないのだ。なにしろ98年といえば、97年の『人神』(書籍版)刊行直後にして『シリ革』刊行直前でもある(同書の刊行は1999年8月)。おそらく当時の半田さんは『シリ革』脱稿に向けた四苦八苦、七転八倒のまっただなかだったのでは?という気がする。もちろん少なからぬ関係スタッフや編集者などが関与していたに違いないが、それにしてもあの大著である。それだけでも超人的なのに、並行して日本各地でセミナーをこなすという離れ業が行われていたわけだ。これはもう、頭が下がるとしかいいようがないけれど、そんな状況下でも半田さんは上記先哲たちの思想をベースにした河村さんのレクチャーをアレンジされ、同氏もそれを喜んで引き受けられたのだろう・・・・・・。
 
と感じ入っているうちに、またまた閃くものがあった。当時のこうした一連の経緯(繰り返すが、これは勝手な推察だ。とはいえ的は大きく外していないと信じる。しかも明白なファクトを前にしている以上はけっして憶測ではなく、あくまで推測なのだ)は、「ヌーソロジー自体がアプリオリに要請していたことなのでは?」という奇妙な直観である(直観・直感という語を安易に用いることを潔しとしないタチの私だが、ここではあえてそう記す。安易に、ではないつもり)。つまり、必然的なプロセスの一端のように思えたのである。そのプロセスとは冒頭に記した「ヌーソロジーをヌーソロジーたらしめ、ヌーソロジーがヌーソロジーであることを確実に担保する基盤的な“場(コーラ)”」の形成プロセスであり、そしてその“場(コーラ)”は、絵画アートに喩えるなら、それを表現するために不可欠な母胎環境としてのキャンバスそのものに相当する「本来的哲学」の場であって、それは「知のアート」が新たに展開、表現されることを担保するもの。ヌーソロジーはそんな“場(コーラ)”をアプリオリに要請していたに違いない、と思えたのである。
 
いま上に「本来的哲学」「知のアート」と記したけれど、じつはこれも、“贈り物”動画を機に書架から引っ張り出した古い書籍に記されていた見解を踏まえてのこと。ピアニストにして作曲家だったシューマンのエピソードにちなんで河村さんが「アートというものは、ほかのなにものにも還元できない」と話されていたことが呼び水となって、「あ、そうだ!懐かしいあの本では、たしか哲学がアートに紐づけられていたよね!そうそう、“知のアート(= art of insight)”という表現だったはず・・・・・・」と、90年代に必要があって原書を片手に何度も読んだ書籍を思い出したのだった。デヴィッド・ボーム((21)参照)の『断片と全体(Fragmentation and Wholeness)』である。

世界を量子、空間、時間、意識、物質などに分割して断片化/固定化することを嫌うばかりか、科学が執拗に求めてやまない(にも関わらず、一神教的/一者的テイストを伴う)「唯一絶対の真理」や「究極の真実」などという概念に異を唱え続けた異色の理論物理学者ボームは、同著でこう記していた。
 
――知の運動は、究極的には哲学のレベルにまで達する。(中略)現在では、哲学も、数多くの断片的な専門分野のひとつになりさがった。しかし元来、哲学という言葉は全体的な理解を意味したのである。(中略)もっとも深遠で包括的な意味において、知は、ひとつのアートである。(同書PART2・A 「断片化と全体性」より)

この引用文にある「知の運動(=movement of thought)」という表現は、奇妙な印象を与えるかもしれない。しかしボームは、あるインタビューで「知は運動するものですか?」と問われた際に「もちろんです。運動するだけでなく、知はそれ自体が運動ですよ」と応じたことが示すとおり、運動/流動(movement)フェチであると同時に全体(holo-/wholeness)フェチでもあった。

その点がボームの魅力だと当時から感じていた私は川瀬さんの『ワンネス』経由でヌースに接してほどなく、ヌーソロジーはやはりボームのいう「全体的な理解」をターゲットにした(断片的な専門分野のひとつではない)「本来的哲学」かも?と思いはじめたわけだが、いまやその認識は確固たるものになっている。これは余談になるけれど、京都で行われた『ワンネス』記念講演会の場では著者の川瀬さんにご挨拶できただけでなく、当日はゲストだった半田さんにもはじめてお会いすることができた。その際、会場前に設置された四次元空間ならぬ紫煙空間内で私がヌーソロジーのことを「ボームの思想を精緻に発展させた体系とざっくり捉えてもいいですかね?」とお訊きすると、半田さんは「あ、そうですそうです!」と(笑)。遊び人がヌースにキメ打ちした所以である。

そして今回の“贈り物”動画は、ボームの上記見解を介してではあるけれど、ヌースはその「本来的哲学」の“場(コーラ)”を背景にして表現される、“ほかのなにものにも還元できない”「知のアート(= art of insight)」でもあるという考えに導いてくれたのだった。いや、むしろ“場(コーラ)”そのものとしての「本来的哲学」であると同時に「知のアート」作品でもあるという二刀流的な捉え方をする方がヌーソロジー的にはフィットするかもしれない。
 
いずれにしても、上述の世紀を跨ぐ時期にベルクソン、ドゥルーズそしてD&Gの思想・概念を巻き込んで内蔵する(インプリケートする)ことによって、ヌーソロジーはそれ自体が本来的に内包していた「本来的哲学/知のアート」性を外に向かって表現、展開、顕前(エクスプリケート)させる度合いを一挙に高めることになったのではないだろうか。そして当時の経緯を含めた一連のプロセスで形成されてきた母胎的環境は、ひとつの理論としての「ヌース理論」から大きな体系としての「ヌーソロジー」へのたんなる呼称変更ではないメタモルフォーゼ(変化・変身)をもたらしたのだろう、と思えた。と同時に私は、詩人・河村悟さんがヌーソロジーがこれまで描いてきた軌跡における大きなマイルストーン的な節目に深く関与されていたこと、そしてそんな経緯があればこそ今日のヌーソロジーがあり、また今後のヌーソロジーにそれこそ「生の躍動(エラン・ヴィタール)」をもたらすに違いないと思えるというそのことに対しても、「アハ!」「あはれ!」感を禁じ得なかったのである。
 
以上を以て我が直近の内的体験報告とするが、長文にお付き合い願い、ありがとうございました。そして今回、じつに貴重な“贈り物”を頂戴した半田さんにはここに深く感謝を申し上げるとともに、「本来的哲学/知のアート」としてのヌーソロジーに多大な貢献をされた河村悟さんに深く敬意を表しつつ、ここにあらためてご冥福をお祈り申し上げます。(合掌)

(付記)余計なお世話かも、ですが、本稿で触れた青い表紙の冊子phonio(vol.2)をまだお持ちでない方は、ヌーソロジーの軌跡に思いを馳せるよすがとして、お早めにゲットされることをおススメします(なにしろ20年前に刊行された貴重な出版物なので、おそらく部数には限りがあるはず)。さらにつけ加えれば、冊子巻頭の半田さんの講演記録『別のものの到来~われわれはどこから来て、どこへ行くのか~』と巻末の河村さんの作品(散文詩『未来の巣に残された最後の卵』+光画作品)ははからずも、D&Gが用いた概念でみごとにウロボロスの蛇のように繋がったカタチになっているため(たとえば河村さんの作品タイトルにある「卵」は半田さんの講演記録にあるD&Gの概念「器官なき身体」のメタファーだった、など)、冊子自体がアート作品だといえるように思います。 

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