"表現"に取り憑かれた故
久しぶりに、声優の養成所時代に仲が良かった人と連絡を取って電話をした。
その方は、約2年間同じレッスン生として、当時から仲良くして下さっていた少し年上の方だ。
今は、声優事務所の預かり(準所属の一歩手前のような段階)として、日々奮闘されている。
ジャンルは違うとは言え、同じ芸事の道に進んだ者同士、共感できることが多い。
もちろん私は声優事務所に預かりとして所属したこともないので、声優という世界の大変さは想像することしかできないが、それでもやはり難しい世界だなと感じた。
それに、同じ養成所で仲が良かった他の2人も、
それぞれ別の声優事務所の預かりとして頑張っているという話も聞いた。
純粋に、預かりまで行けているのはすごい。
本当に凄いことだ。
しかも、私が知っているだけでも3人そこに辿り着けていて、尊敬の念が絶えない。
少し話が脱線してしまったが、
電話で話している時に、
究極自己表現ができたらいいんだよね
という話にお互いなった。
そして、道は違えど芸事の道に進むと
結局その結論に行き着くのかもね
とお互い笑い合った。
私は以前どこかで
「舞台に3回立つと、それは麻薬と同じでやめられなくなる」
という言葉を聞いたことがあるが、本当にその通りだと思う。
私はその麻薬を、中学高校とミュージカル部に所属していた間に摂取してしまっていたのだが、
自分の表現が、初めて会った知らない人にタイムレスで伝わるのが、限りなく幸せで嬉しいことなのだ。
もちろんアドレナリンの関係もあると思うのだが、それでも笑顔で舞台を見て下さる、その光景が自分にとって何よりも大好きな景色だ。
声優事務所の預かりとして毎日努力されている仲間もいる中で、私はまだアルバイトも出来ない状態で
そんな状況に歯痒い思いや焦りも抱いてしまうが、
いい意味であまり焦らず、自分のペースで進んでいきたい。
と、今は思っている。
「こういう道に進む人って、やっぱりどっかおかしいんだよね」
そう話す仲間の言葉に、苦笑しながらも心の中で激しく同意した。
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