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写真を撮る目的がわからない

2023年はよく写真を撮っていた。毎月少なくとも300枚くらいの写真を撮っていたと思う。
色んな知り合いが、写真を撮りに声をかけてくれるようになったのも大きい。

私は写真が好きではあるのだが、実のところ自分がなぜ写真を撮っているのかわからない。

正直、自分は写真が上手くない。
理由は簡単で、特に何も考えずにそれっぽく撮っているにすぎないからだ。

それっぽい機材を使って、どこかで見たことあるような構図を追っかけ、特に推敲せずに再現風なことをしているに過ぎない。

ネガティブな感じだが、これが今の自分の写真に対する感覚だ。
このような感覚が続くと、なぜ自分が写真を撮っているか曖昧になっている。

写真を撮ることが好きだったのか。
あとで見返すのが好きだったのか。
人に写真を共有するのが好きだったのか。
写真を撮っている自分が好きだったのか。

世の中には写真を上手く(ここでいう「上手く」は私の中での理想的なもの)撮れる人は多い。

同じ被写体を同じようにいい感じの雰囲気で撮っても、結局スーパー下位互換に過ぎない。そう考えると自分が写真を撮っている意味は何になるんだろう、とわからなくなった。

じゃあ、写真の勉強しろよという話かもしれないが、正直そんなモチベーションはない。リラックスしてやりたいことで何で勉強しなきゃいけないんだ。

思い返せば、写真撮影自体をしたいと思って始めたわけではない。別の目的があり、その手段として写真を始めたと思う。

本来、何かをしたい行為の外にあったはずの写真撮影を、2023年は行動の中心に置いてしまっていたのが悪かった気がした。

というわけで、これから伝えたいことを記録する目的で写真を撮ることにしようと思う。

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