見出し画像

都会のあしもと、田舎の見晴らし

20歳を超えるまで東京に来たことがなかった。
東京で暮らすことになった日のことはすごく覚えている。

諸々の手続きをするために池袋に降り立った時、目がくるくる回った。
溢れんばかりの人の多さ、敷き詰められたビルの巨大さ、日陰に逃げ込んでも追いかけてくるじっとりした暑さ。

きっかけが不本意な転勤だったこともあり、東京の何もかもが億劫で恐ろしかった。こんな都会は住むところじゃないとさえ思った。

しかし人間はしぶとい生き物で、先輩や周りの人たちのおかげで少しずつ楽しむ余裕も出来てくる。そうしてなんだかんだと「都会」にも慣れてきた。

結婚を機に横浜に引っ越すことになっても、「これはまたオシャレな都会だなあ」と、住んでいるくせにちょっと一歩引いた気持ちになっていた。

どんなに美味しいお店に出会っても、どんなに楽しい場所で遊んでも「楽しむためにはピッタリな都会だけど、まあでもやっぱり住むところとしては(夫婦どちらかの)地元がいいよね」と思っていた。

けれど、本当にここ1年ほどのことだけれど、横浜の街が好きになっている。
というより、横浜に関わる人のおかげで、横浜のことが好きになっていった。

===
きっかけは、クラフトビールペーパーという再生紙をつくり始めたことなのだけれど、プロダクトについては割愛
(noteぜひ読んでね)
===

横浜のことが大好きなひとたちは、自分が一歩引いてみていたような変な都会らしさは感じない。

暮らしている街が大好きだし、そこでつながる人たちもまた、この街が大好きだという気持ちが伝わった。面白いと思ったことには全力で乗っかってくれる。人が人を呼び、人が人をつなぎ、少しずつすこしずつ知り合いの輪が増えていった。

このわくわくふわふわした感覚は、なにか覚えがあった。

そう。
去年の冬、北九州に一か月ほど暮らしていた時もそんなことがあった。

泊まったゲストハウスで出会った人が教えてくれた居酒屋に行って、たまたま出会った人と話が盛り上がり、二軒、三軒と練り歩いた。仕事で一緒になった人と飲みに行き、知り合いの方を呼んだら別のところで少し繋がる。
ふわふわと小さな輪が繋がって広がっていく感覚がぼんやり温かく残っている。

今では北九州に帰ったら「あの人に連絡してみよう」と思い浮かぶ人がたくさん増えたと思う。


なんだ、都会かどうかは関係ないな、と妙にストンと腑に落ちた。

自分がぼんやりと大きなくくりで見ていた都会の足元には、当然だけど人がいて、その人たちが大好きで、私はきっとこの街が大好きになったんだと思う。

都会だなんだ、田舎がなんだ、と一歩引いたような気分になっていたけれど、自分の中では、そんな簡単にはまとめられないなと思った。

しっかり自分の足で立って、足元をしっかり見てみると、色んな人に出会えて、大好きな街になっていくのだなと思った。

逆に、地元から離れてみて気づいた地元の良さというのもたくさんある。地元の穏やかな見晴らしと時間は代え難く、今ではすごく大好きだ。

大好きな街が増えて、とても贅沢な気持ちでいる。

そんな気づきもあり、最近は会社として、個人としての将来を重ねて考えながら、暮らす場所をふわふわ模索している日々です。
悩みは尽きないけれど、嫌な悩みではありません。仕事もすごく楽しいです。

関わってくれた人の顔を思い浮かべながら、今日もあたたかな気持ちで眠ります。

おやすみなさい。


読んでいただきありがとうございます。 いただいたサポートは、じぶんの心が休まるものへ使い、またnoteを書く時の励みにしたいと思います。