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#生活と創作/230113

また、やってしまった。帰宅して風呂に浸かりたいから沸かすんだけど、沸かしている間にストーブ当たりながら寝てしまって、ガスを全力でつけっぱなしにしてしまうやつをまた。冬は風呂沸かすのに40分くらいかかるんだけど、シャワーは寒いし汚れはスッキリさせたいのでできれば湯船に浸かりたい。でも沸くのを待っている間にストーブあたらないわけにはいかないし、疲れている時にストーブあたれば当然眠くなるしで、完全に詰んでいる。どうしたら寝ずにスムーズに沸かした風呂に入れるんだろう。

翻訳を依頼してみようと思って声かけてみたものの、まだ、使う文章が決まっていない。これから書こうと思っているけど間に合うだろうか。もしくは今まで書いたものの中から選ぶことになるかな。どちらにしても、一回、次のZINEをどうまとめていくべきか、散らばっている材料を集めて眺めてみないとダメだ。文章、写真、録音、タイプライター印字、イラスト、まだこれからやりたい活版。(間に合うだろうか…)
今までは、中身が見えてきてから装丁を考えることが多かったけど、今回は逆の流れをしているのでなおさら、むずかしい。

翻訳してもらおう、と決めてから、どんな文章を翻訳してもらうのがいいかな、と考えている。でも、考えれば考えるほど、わざわざ英訳するほど、外国の人にも読んでもらうほどの文章なんか書けないんじゃないか、そもそも私が外国の人にまで伝えたいことなんてないんじゃないか、とか考えてしまって捗らない。

それに、最近は「人に読まれる」ことを余計に意識してしまっているような気がして、今までのようにネットに公開するのさえ躊躇うことが増えた。

私が今まで書くことが続けられたのは、「誰も読んでないだろう」「読まれてもオッケー、むしろラッキー」ぐらいの軽い気持ちで投稿していたからだと思っている。

だけどさすがにフォロワーさんが増えてきたり、思っているよりいいねがもらえるようになってくると、「見てくれる人が好きそうな投稿をしたい」「見ている人が不快に感じないように配慮する」とかをうっすら感じるようになって、そうすると、自分がいちばん発言したいことを書けないまんまになってしまったり、別の置き場所が欲しくなる…そんなループ。
言うほどフォロワー多くないのに何言ってんだって感じですが。フォロワーがめっちゃめっちゃ増えても変わらないスタンスで投稿し続けられる人すごいなぁ。

こんなことを言っているけど、投稿したものに対しては、見てもらえた方がもちろん嬉しいので、コメントや引用をもらえるとめっちゃ喜ぶし、いいねなどの反応が少ないと寂しくなる。めんどくさいね。

はて、何を翻訳してもらおうか、と考えてみた時に浮かんできたのが、今まで自分がどうして書いてこれたか、何を書きたいか、とかそういうこと。

わたしは、自分が欲しいものを、既に持っている人に対して、羨む気持ちをもってしまいがちだけど、その人にはできなくて、自分にはできることだってきっとあるはず。むしろ人を羨ましく思うほど充足感の得にくい状況だからこそ、こうやって言葉を形にできるようになったのだろう、きっとそうだと思いたい。

こうやって答えのないまま、目的のないまま、ふわふわと思い巡らせ、ときどき文字にしてきた。それが、わたしらしさだと思うようになった。もっとずっと、ふわふわ漂っていたい。ふわふわの抽象度を上げて、まるで物語みたいになったらいいなーとずっと思ってるんだけど、その域にはなかなかたどり着けない。

さて、どんな文章を翻訳してもらうことになるかなぁ。引っ越して2年、今までの「とても良かった日」とかも文字にできたら良いなぁ。


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