見出し画像

十五代目片岡仁左衛門の話

これは私の後期、月曜5限のレポート。
拙いけど、Aもらえてご機嫌だから載せてみる。その1


 前期レポートで助六のかっこよさに魅せられ、その魅力についてレポートを書いたが、今回も私は助六に魅せられている。きっと彼のような「定番」の二枚目が好きなのであろう。後期、第六回授業プリントに登場した仁左衛門の助六の項目に「あーすごくかっこいい!」と書いてあったのは助六のことであろうか、はたまた仁左衛門のことであろうか。そんな面食いの私が今回は十五代目片岡仁左衛門の著書を読み、動画を見漁りその人間性や役の捉え方について自論を交えまとめていきたいと思う。

 まず彼の経歴を見ていこう。1994年大阪生まれ、父は十三代目片岡仁左衛門。その三男として生まれた。本名は片岡孝夫であり、長年この名で舞台に立っていた。私の父に聞いてみたところ、「あー、片岡孝夫だよね?知ってるよ。」と言われた。さすがの認知度である。そんな彼は、関西歌舞伎を中心に活躍していた松嶋家に生まれたものの、当時関西歌舞伎はかなり低迷期にあった。彼が学生の頃、関西で歌舞伎と名がつくと客が入らず、全く流行らなかったと本人が述べていた。また、当時このままでは役者として食べいく事は難しいと感じながらも、とにかく舞台に立ちたいという気持ちが大きかったとも答えていた。そんな状況の中1964年、父十三代目片岡仁左衛門が私財を投げ打って自主公演を行う。その際演じた『女殺油地獄』の与兵衛は、彼にとっての初めての主役で、あたり役となった。

その後も、上方の役者として活動していた仁左衛門だが、1967年関西歌舞伎の不振は収まらず東京へ移住する。そして、彼は上方だけでなく東京でも二枚目を演じ、多くの観客を魅了した。江戸歌舞伎として代表される二枚目というのが、十五代片岡仁左衛門の襲名する際に演じた『助六曲輪初花櫻』の助六である。市川家の助六と違いはあるが、助六自身の持つ男前で粋な江戸っ子という点は共通していると言える。彼はこの役でも高い評価を得た。これは恵まれた声や容姿、そして何よりそこに伴う演技力の高さと人柄によるものであり、十五代目片岡仁左衛門が上方・江戸に縛られずどちらでも活躍できるほどの圧倒的な役者であることの現れといえる。

 次に役者としての仁左衛門の内面についてみていく。彼の書いた文章を読んだり、話している姿を見たりして「役の心を大事にする」という考えを強くもっていることを知った。例を挙げてみていく。まずは『菅原伝授手習鑑』の菅丞相を演じる際の役作りについてである。彼が意識している事は芸のうまさではなく、内面から菅丞相になりきることである。菅丞相を演じる際は天神様のお使い姫である牛を食べない、夜の街に出かけることはしないでまっすぐに帰る、など舞台の上にいては全くわからないであろうことまで徹底して勤め上げるという。これは、松嶋屋で代々伝わってきたことであり、十五代目個人が始めた事ではないが、家として心構えの大切さ、それを舞台上以外でも意識しているという事がわかるエピソードである。

 二つ目は、『女殺油地獄』の河内屋与兵衛についての発言である。私のようなただの観客から見たら本当に腹の立つ救いようのない男に見えるが仁左衛門は与兵衛を演じる際の心がけについて

与兵衛の性根として大事なところは、いくら悪態を尽くしても、お客様に反感を持たれたり憎まれないようにしないといけないというところ。
『十五代目襲名記念 写真集 片岡仁左衛門』 (株式会社 淡交社 1998年) p.89

と話している。先に述べたように自ら作った借金の返済のために、親を騙そうとする、そして口うるさく言われても全くきく耳を持たず、挙句のはてお金を貸してくれないという理由(だけではないがそれが大きな引き金となり)で親切にしてくれていたお吉を殺してお金を奪う、というとんでもないやつのことをどうして反感を持たずに、憎まずにいられるか!と思ってしまう。しかし、仁左衛門は与兵衛のわがままで自分勝手なところ・男としてのプライドを高くもっているところを示しつつも、どこか最後まで突っ張りきれない・強情になりきれないという与兵衛の持つ弱さを丁寧に作品中に散りばめることを大切にし、理想の与兵衛を丁寧に体現しているのである。そしてその絶妙な演じ分けによって、自分勝手で気の強い男であるがどこか強くなりきれない与兵衛の可愛らしさのようなものを観客に示している。このような形で与兵衛を演じることは仁左衛門が与兵衛の心を深く読み、大切に、愛を持って演じていることの現れであると感じられる。また、仁左衛門にとって、父が行なった自主公演での当たり役であるという事も憎まれてはいけないと強く思う要因になっているのではないか。そしてその気持ちを観客と共有することを非常に大切にしていると感じた。

ここまで二役についての仁左衛門の捉えかた・演じ方を踏まえ、彼の役者としての役との向き合い方について述べてきたが、最後にこのことが非常によくわかる発言を紹介する。

『十五代目片岡仁左衛門(芸談)』で撮影してもらう際に彼が写真家に話したことがこの本のあとがきにはこう綴ってある。

そして、私が先生にお願いした事は、「仁左衛門という役者」ではなく個々の「その人物」を撮って頂く事でした。
『十五代目襲名記念 写真集 片岡仁左衛門』 (株式会社 淡交社 1998年) p.174(あとがき)

撮影された役は様々であるが、この発言からこれらすべてに写る「役」を尊重していることがわかる。また、歌舞伎は西洋演劇と違い、多くが白塗りで表情や輪郭を作りあげている。そのため役者自身の本来の顔がはっきりと見える事はあまりない。しかし、そのある程度決まった顔や衣装で、仁左衛門は役者ではなく「役」を撮ってもらっているが、撮影された写真からは十五代目片岡仁左衛門の魅力がにじみ出ているように感じた。

 最後にまとめを書こう。私自身こうして十五代目片岡仁左衛門について書く中で、彼についての記述を読むだけでなく映像も何本か拝見した。その中で彼のギャップに非常に驚いた。関西の訛りのある言葉だが、そこに尖った印象や派手で賑やかな「THE 関西」というものは感じられず柔らかさと丁寧さとを持ち合わせた凛とした大人の男を感じた。個人的に大人のいい男を褒める言葉といえばダンディーであると思っているが仁左衛門にしっくりくるのは「凛」としているという言葉であると思う。どちらかといえば女形を評する時に使われそうなこの表現であるが、かっこいいだけでない、そこに兼ね備えられた落ち着きと役に向き合う丁寧で誠実な姿勢を表すのにはもってこいだと思う。そしてそれによって仁左衛門の演じるその役というオリジナリティーを生み出し、結果として多くの人を魅了しているのだと思う。この役者を生で観ずにはいられない。春休みに拝見することができれば幸いである。

【参考文献】
片岡仁左衛門、篠山紀信、関容子『十五代目片岡仁左衛門』(株式会社 小学館 2009年) 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?