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日本はなぜ植民地化されなかったのか? 5.火縄銃・開国の時世界最大の武器大国

●日本の火縄銃は1543年、中国船で漂流中のポルトガル人により種子島にもたらされたと言われている。伝来した火縄銃は戦国時代後 期の日本に大きな影響を与え、戦闘方法を変え、社会を変え、統一国家形成に大きな役割を果たした。しかしその後17世紀初頭から19世紀 半ばまで、日本は鎖国により対外関係は少なく、国内的には安定した時期が続いたので兵器としての発展は見られず、その古来の形状が18 世紀半ばまでほぼ伝えられた。日本の火縄銃はこのような状況から他国銃器と離れた独自な経路を歩み、独特な性格を維持してきた。日本 の火縄銃は外国では通称Tanegashimaと呼ばれている。 その機構は単純確実な発火を手段とし、兵器として大量生産、大量使用を目的としてものではなく、夥しい種類が存在する。

火縄銃は種子島伝来後、早い時期に紀州に渡り、そこから近畿地方を中心に広がったと言う説の確立が高い。紀州は鉄砲先進地帯であり、幾多の傭兵鉄砲集団が存在し戦国大名、宗教集団に雇われた。伝来後およそ10年後、日本には約10万挺の火縄銃が存在し、その後の規模は、1600年には約30万丁と当時世界最大の鉄砲国であった。(抜粋)

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■写真は姫路城の外壁と城内の壁面です。日本の城はスリットの様な窓に変化したのは信長、秀吉の頃からです。銃で狙って敵を倒す。戦いは弓矢、槍や刀から鉄砲に変わったのです。ですから白も変わりました。種子島に伝来してから、日本人の職人達は数々の種類と大きさを開発した。長距離を狙った長い銃身のもの、大筒と言う太い物。短筒と言うピストルの様な短いもの。工夫と器用さと職人の創造力と勤勉さ優秀さは日本人の特質なのかも知れない。開国の頃、欧米人は日本の城が鉄壁の守りと鉄砲で武装されている事、そして、その鉄砲の多さに驚きます。しかし、当の日本人は世界一の武器大国である事など知る由もないのですが。そして、雑賀衆の様な鉄砲集団の波状攻撃を仕掛けることが出来る知者、分業、は訓練され磨かれていた。


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