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わたしはまだ、写真を純粋に好きでいられているみたい

チェンマイに引越しをして、あっという間に2週間が経過した。

…と書いて「あれ?まだそんなもんなんだ」とびっくりしつつ、同じく仕事を休憩して2週間経ったことになる。

ぽつりぽつりとメールを返したりほんの少し作業をする以外、オンラインの打ち合わせもないし、何かの締め切りもない。
(もちろんその間は収入もないわけなんだけど)

それが心地よいかと聞かれると、正直まだわからない。
何だか今まで必死に両手に握りしめていた大事ななにかをどこかに置き忘れてきてしまったような、不安なような、そうでもないような感じがして、何だか中途半端に居心地が悪い。

座っているとだんだんお尻が痛くなってくる椅子に腰掛けているような、そんな心地悪さだと思う。


午前中は語学学校があるので起きているけれど、午後はお昼を食べたら帰宅して大抵そのあと惰眠をむさぼる。

こんこんと眠る。頭が痛くなるときもある。

チェンマイはこの時期ときおり、ざーっと強めの通り雨が駆け抜けていく。
その音が聴こえたらベランダでその音をひたすら聴く。
頭が空っぽの時もあるし、そうじゃない時もある。
空っぽにしている、と誤解していることもある気がする。

雨が去り晴れたら、また眠る。また頭が痛くなる。
外が深い闇に包まれる前にむくりとベッドから起き上がり、ふらっと夕飯を食べに出かける。

何となく寂しい気がしたら誰か誘ったり、そんな寂しさは横に置いてひとりでちゃちゃっと食べたり。
(下手くそな英語を夜に話すと脳みそが疲れるので、大抵誰かと食べる夜ごはんは、日本人のお友達が多いけれど)

派手な事はそんなにない、きっと誰かが聞いたら「いや〜地味な生活ですね」と笑われてしまうだろう。

静かに、ひたすら毎日が過ぎていく。


この街に暮らし始めたら、どんなに居心地が悪くともまずは空っぽをやろうと決めていた。
手持ち無沙汰になって仕事でもするか、と何か手をつけ始めても、すぐに全部やることがなくなってしまうくらいの暇を作ろうと決めていた。

その結果いっぱい寝てしまっても、
すごく不安な気持ちになっても、
なんでも良いと思った。

とにかく私があいた自分の余白に何を飾るのか見てみたかった。

今日雨が止んで、街の電線にちいさな雫たちがぶら下がっているのを見て、写真を撮りに行こうと思った。

それはとっても自然なことで、カフェを出て、家にカメラを取りに帰り、カメラだけを持って街をすこし歩いた。

空いた余白に、わたしはまだどうやら写真を置いておきたいらしい。
すっかり仕事の手段になってしまった写真のことを、
すっかりお金を稼ぐ手段になってしまった写真のことを
どうやら純粋に好きでいられるらしい。

ほっとした。
まだ無くしてないみたい。

夢中でシャッターを切る、なんて漫画みたいな出来事はなくて、
数枚切って、家に戻る。

良いんだ。こんなもんで。
わたしらしさだ。

久々に、なんだか今日は安心してよく眠れるような気がする。

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古性のち | Noci Kosho
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