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今日のなんでもない日記

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放っておいたら、しゃぼん玉のようにいつか頭から消えてしまいそうな、だけれどどこかに残しておきたいような、ふとした日常のひとりごと。昔のmixiのような、とりとめのない文章を認める…
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#古性のちのひとりごと

しとしと、雨の気配が都会に森を連れてくる

晴れの日より雨を好きになったのはいつのことだろう。 いくら記憶の糸を手繰り寄せてみてもどこにも結目が見つからず、引っかかるのは学校の雨の図書室で楽しそうに変な本を見つけてゲラゲラ友達と笑っている自分だったりとか、一生懸命傘で空を飛ぼうと坂を駆け抜けていく自分だったりとか、そんなものばかりだ。 なので正確には覚えていないのだけれど「雨」という存在が好きです。 朝ベッドの中で目を覚ました時にパラパラ、と聴こえてくる音も好きだし、そんな日の開きかけの本に落ちる暗めの影も好きだし

「何でもない文字を綴る」は人生の余白を愛するためのおまじない

自分の心の健康をはかる方法が何個かある。 ひとつめは、聞いたことのないあたらしい音楽を手にとること ふたつめは、外をぼーっと見つめる時間を持てること みっつめは、何でもない文字を綴ること この3つのどれかひとつでも出来ていれば、わたしの心は生きている。 全部できていればすこぶる健康。 ひとつも出来なくなったら赤信号。 「心が健康」と言ってしまうと=病気のように捉えられてしまうかもしれないけれど、決してそういう重大な状態を指しているわけではなくって、 自分が心地よくこの世

爽やかで甘酸っぱい休日を

前職の会社の先輩まさしさんから、突然大量の大きなおおきなレモンが届いた。ちなみにまさしさんは現在広島県でレモン農家をやっている。一緒に夜中までパソコン叩いてたころが懐かしい。 鼻を近づけると、ふうわり、だけれど強烈に香る甘酸っぱい匂い。 「美味しいものいっぱい作りたいな」と思って、eat Designerのにしむーさん(爽やかイケメン)をお呼びして、レモンな1日を過ごしてみた。 1年後「ねえあの日あんなことして遊んだね」ってわいきゃいできるように、たくさん写真を撮ったので

あまりにも無邪気に君が笑うから

小学校からの幼馴染の結婚式だった。 結婚式はいわゆる「スタンダード」なもので、余興の動画があったり、チャペルで指輪の交換があったり。花嫁からのお手紙があったり、ファーストバイトがあったり。なんの滞りなく、水が流れるように進んでいくその神聖な儀式を、わたしはぼーっと見つめていた。 前日も仕事が山積みだ、という言い訳を提げて、バタバタとアクセサリーや服を選び「それなりに」見えるように自分を整えて。朝は予定時間のギリギリに会場に到着した。 もともと私はあまり結婚とか興味がある方

「何故わたしなのか?」を明確にすること

フリーランスも3年目になり「この仕事どなたかやりたい方いませんか?」と聞かれ手をあげるよりも、ありがたいことに「この仕事を古性さんにしてもらいたい」という依頼が明らかに増えた。それは私自身のスキルを求めての依頼だったり、世界観を気に入ってくださりの依頼だったりと、理由は様々なのだと思う。 その時きっと曖昧にしてはいけないのは「何故私を指名してくださったのか」を明確にしておくことなのだ、と教えてくれたのは、友人でありPhotoli代表の涼くん。「受けた仕事がとっ散らかって

花を一輪、わたす習慣

ひさびさにお会いしたひとに、お花を一輪、持っていくことがある。 約束の前にふらりと花屋に足をはこんで、そのひとのカラーイメージを頭の中にうかべてワクワクしながら、一輪だけ花をえらぶ。 かんたんな包装をしてもらって、まちあわせ場所や、お店でそれを渡す。 いきなりに差し出すと「え?なんのお祝い?」とびっくりされてしまうから 「可愛かったから」「なんか似てたから」 なんて補足しながら、そっと手渡す。 そうすると、一瞬おどろいた顔からふわりと、たいてい、やさしい笑顔に変わる。そ

ゆるゆるゆるむ、ゆるんでいく

宮古島に足を踏み入れた瞬間、ふわっとやってきた懐かしい島の匂いに、心底心がゆるんだ。 ゆるむ、というより、こわばっていたことに気づいた、が感覚的に近いかもしれない。あれ、いままでどうやって呼吸をしていたっけな、と戸惑いを覚えるくらいに、わたしの吸い込む呼吸は、浅く浅くなっていたようで。 見慣れた島の、見慣れた海が目の前にひろがってきたときに、ふっと体が軽くなった。どうやら、呼吸が浅くなってしまっていることにすら、気づけなくなっていたらしい。 久々に吸い込む空気はなんだか

何か対象がなければ幸せを測れないのは、自分の人生を生きていないのと一緒だ

*今から3年ほど前に、書きなぐった下書きを発掘しました。なんだか、こんな自分もいたことを忘れたくなくて、公開してみました。 ————————————- 昔から、戦うことを放棄してきた。 いつからそうしてきたのかは、覚えてない。 インディーズの音楽ばかり聴いていたのも、オススメの本や映画を頑なに読みたくなかったのも、いつも誰もいないフィールドに行こうとしていたからだ。 そんなところはどこにも、ないはずなのに。 わざと狭い道を歩きながら、誰かとぶつかると道をそれる。

なりたい自分と、なれない自分。自分らしく生きること。

 なりたい自分。なれない自分。自分らしく生きること。 これらのすきまで身動きがとれなくなるのは、だれだって苦しい。 涼しい顔してそこに立っているように見えるあの子だって、両足のつま先には、ぐっと力がはいっているし、食いしばった歯のあいだからは、たぶん、悲鳴がもれている。 なりたい自分、なれない自分、自分らしく生きること。は、いつも対極にいて、大きな三角形を形成している。 そのバランスは、いつだってアンバランスだ。 自分らしく生きたい。だけれど、なりたい自分がある。な