月との近づき方

※ホテル・ミラクル6の中の作品「最後の奇蹟」(作:フジタタイセイ氏@肋骨蜜柑同好会)が好きすぎるがあまり、その世界観から勝手に二次創作してみた

【月との近づき方】
 田瓶駅近くの市民会館の会議室でそのセミナーは行われていた。会社の同僚に誘われて、まぁ暇だし別に変な宗教とかマルチだったとしても一度きりであれば大丈夫だろうと軽い気持ちで付いて行ったのだった。一応念の為、財布からカードとか高額紙幣は抜き取っておいたけれども。
 会議室のドアには「月と星 友の会」と貼ってあり、えらく漠然としたセミナー名だなぁとは思ったが世の中のセミナーだったり怪しい集会というのは大抵飾り気のない名称が多いもんだよなぁと勝手に変な納得をしつつ中に入る。
 パワポで作られたであろう10ページくらいの資料に沿って説明が始まる。なんか思っていたよりも会社とかでよくある研修って感じの雰囲気にちょっと面食らったが、椅子を丸く並べて参加者同士向かい合っているところは自己啓発セミナー的でもあるし、ゴールはどこに向かっているのかと警戒心と好奇心のシーソーゲームにおける好奇心サイドの猛攻が止まらない。
 資料の内容は「星空を眺めることが精神に与える影響」とか「星の並びからあなただけの星座を作りましょう」とか「月の引力が体に与える影響」など聞いたことがあるような、わかるようなわからないような内容だ。それに一つ一つ講師が細かい説明を付け加えていく。
 講師の口調は淡々としていて無駄が無い。事務的と言えば事務的なのだが、ウーハーを積んでいるような低音の良い声をしているので何か説得力と言うか引き込まれるところがある。
うーん、、、、意外とためになる、、、、Wikipediaを読んでいるときのような感覚だ。とか思っていると講師が唐突にみんなに問いかけてきた
「ところで、みなさんは月がお好きですか?」
参加者がボソボソと肯定の呟きをする
「では月と近づきたい、距離を縮めたいと考えた時にどうしますか?」
講師は近くにいた参加者に視線を向け答えを求める
「えーと、ロ、ロケットで行くとか?」
不意を付かれながらもそれらしい答えを出すが講師は眉間にシワを寄せて続ける
「それは一方的にこちらから近づくだけですよね。例えばですが、好きな人がいたとして、その人との距離を近づけたいと考えた時に好きな相手の家までただ行けばその人と親しくなれますか?心の距離も近づけなければいけないですよね?ただこちらから近づくだけでは、相手側にその気がなければストーカーになってしまいますよね?」
冗談めいた言い方で講師が笑う。そう言えばこの講師の男が笑うのをこの日初めてみた、と同時に隣で今度はアシスタントが眉間にシワを寄せている。講師に何か言いたそうに視線を送るが講師は気付かずに続ける。
「じゃあどうすれば良いか。相手にも近づいて来てもらう必要があるんですよ。お互いが近づき合う、これが本当に距離を縮めるということなのではないでしょうか」
最後ちょっと演説めいてしまったのを自省するかのように語調を抑えて続ける
「しかし、月はあまりに大きい。我々人間は非常にちっぽけです。お互い近づくといっても月の側からはかなりこっちに来てもらわなければいけない。そうでないといわゆる俯瞰的な視点で見たときの平等さ加減といいますか、総じて愛の量が等しいとは言えなくなってしまうではないですか」
どうも興奮すると演説口調になる癖があるようだ。
「先生、ちょっと、、、」
アシスタントが講師を制する
「おっと、すみません。えーと、ちょっと話がずれましたが、というかわかりづらかったですかね?要はお互い歩み寄りが必要だという当たり前のことをお話させていただいたのですが、相手によってその手法は考えなければいけない。時には相手をこちらに近づけてこそやっと等しく親密になれるということも有るということを言いたかったのです。」
ますます掴みどころが無くなってきている気がするが、参加者の中には大きくうなずく人やメモを取る人などそれなりの反応が返ってきていた。
それに気を良くしたのか講師はますます饒舌にフランクになる
「まあどうせ一度それた話ですからついでに方舟の景色の話もしちゃいましょう。ノアの方舟の方舟です。みなさん知ってますよね?地上を大洪水が襲った時に方舟に乗ったノアの家族と動物たちが生き残るやつです。
ぜひみなさん方舟からノアが見たであろう景色を思い浮かべて下さい。一面洪水に覆われて、いつ引くかわからない濁った水を見続ける絶望的な景色、、、
いや、皆さんの中には希望に満ちた景色を見た人もいるかもしれません。そしてその人の目には洪水が美しく輝く水として見えているのでしょう。
先程、星座の話や月の影が何に見えるかという話もしたと思いますが、物の見方というのは一つではないんですね。そしてそれは見る方向自体を変えるということも可能だということなんです。
打ち上げ花火をどっからみるとかいったドラマだか映画もありましたが、方舟側から見た景色とは別に洪水に沈みゆく大地から見上げる方舟の姿というものも想像してみることが大事なのです。
私は綺麗だと思うのですよ。降り止まない雨、何もかもを流してしまう大雨。そうして水かさを増しいよいよという時に水平線を遮るように浮かぶ大きな方舟、、、。それはきっと方舟の上から見る景色より、きっと」
講師の目線は遠くを見つめている。きっと頭の中にその景色を広げているのだろう。
「月に兎が見える人がいれば、月から地球に兎の影を見る人もいるかもしれません。大切なのはあなたたちには見る場所を選べる権利があるということなのです。見たい景色を見ることができるのです。」
加速し続けた話は最後に牧師の説教のように締められて終わった。
正直講師が何を言いたかったのかはわからなかったが、講師が余計な話をしすぎたということはアシスタントの困り顔から伝わってきた。
この後は資料の話しに戻り、アンケートを書いてそのままセミナーは終了となった。
 結局何も得られなかったし、何も与える必要のない時間だったが講師の男が洪水に浮かぶ方舟を想像していたあの表情だけは覚えている。
いや、セミナーで何も得られなかったわけではないらしい。思い浮かべた講師の表情は俺の視点だなと思い、ぐるりと視点を反転させて講師が見ていた景色を想像してみてしまった。たぶん俺ら参加者の姿などは見ておらず、方舟のうえからの景色でもなく、流される大地から方舟を見上げていたのだろう。

不覚にもそれはとても美しい景色なのだろうと思ってしまった。


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