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足が速いことがいいことで、足が遅いことが悪いことなのか?

クラスにはいろいろな子どもたちがいます。足が速い子もいれば、足が遅い子もいます。

小学生のころって、足が速いだけでもてはやされるし、モテますよね。足が速い子は万能選手みたいなイメージがあります。

そして、足が遅い子はそれだけで「人として劣っている」と見られがちです。実際、私は小学生の頃(今もですが笑)足が遅くて、よく笑われたり蔑まされたり、リレーのときには「お前のせいで負けた」と言われたり。

そんな小学校生活をおくってきたので、その価値観はよくわかります。

ですが、教員になって思うことは、「足が速いことが優れていて、足が遅いことは劣っていることなのか」という疑問です。

ものをみる視点によって、よくもみえるし悪くもみえる

物事って多面的な視点でみることができるのは、大人ならよく知っているところです。

例えばのび太くんは、勉強は苦手で運動も苦手、よく居眠りしたり遅刻したりするし、テストは0点をとってしまう。さらにいじめられたり、得意なことは昼寝とあやとりと射的。

どうも冴えない子です。

かたやジャイアンは、運動はできるし力が強い。いつも威張っていて子どもたちの中でボス的な立場です。ケンカでは誰にも負けません。

どうみても強キャラポジションなわけです。

では、のび太は劣っていて、ジャイアンは優れているのでしょうか。

のび太くんは、普段は弱虫で臆病ですが、いざというときにはここ一番の勇気を発揮します。そして優しいので、誰かが困っていたら「助けてあげよう」というのは、ジャイアンでもスネ夫でも、ドラえもんでもありません。のび太くんです。

のび太くんは人にやさしくすることのできる心の強さを持っています。逆に、ジャイアンはそうではありません。いざというときに臆病になったり尻込みしたりします。ここぞというときに頼りにならない面もあるのです。

もしのび太くんが、運動神経が抜群で、勉強もできたら、困っている人にやさしくできるでしょうか? わかりませんが、もしかすると「そんなこと、自分で解決したら?」と突き放してしまうかもしれません。

のび太くん自身が弱い存在だからかわかりませんが、同じように力を持たない人の気持ちがわかるんですよね。理屈で考えたら助けるなんて難しい場合でも、「困っている人を放っておけない」と考えることができるのが、のび太くんの優れたところです。

そういう視点でみたとき、のび太くんは優れていて、ジャイアンは劣っています。

結局の所、物事の善し悪しはみる視点や立っている立場によって変わるということです。

給食を食べるのが速い子は優れているのでしょうか?

たくさんおかわりすることができるかもしれませんが、その子は食べ物の味をよく味わっていないかもしれません。

給食を食べるのが遅い子は劣っているのでしょうか?

食べるのは遅いかもしれませんが、マナーよく、味わって食べているのかもしれません。咀嚼回数も多くて体に良い食べ方をしているのかもしれません。

それは、一概に良し悪しを決めることができませんよね。

ですが、「足が遅いから劣っている」とか、「給食を食べるのが遅いからだめ」とか、そういう一面からみた価値観のみで人を値踏みする。そんな人もいますよね。

実は、そういう一面からしかみていないのに値踏みしちゃう人が多い場所、知っていますか? 

それは、学校です。

先生は、物事の一面だけを見て判断しがちです。その裏にある多様な価値観を考え出すと、なかなか指導ができないからです。

給食を食べるのが遅くていつも残食をしてしまう子に対して、「よく味わっているからいいんだよ。もっとゆっくり食べてもいいよ。ほら、みんなも見習ってよく味わってゆっくり食べなさい」といえないのが学校なんです。

つまり、学校では「集団」や「規律」が優先されるので、個人がどんな想いで給食を食べているかよりも、時間内にきっちりと食べ終わり、他の人に迷惑にならないようにすることが優先されます。それが「集団行動」だと教えるのです。

だから、給食を食べ終わるのが遅い子に対して、一面的な指導をしがちです。

私は、その指導は間違っていないと思います。給食は時間内に食べ終わること。もし食べ終わらないなら、バランス良く栄養を摂取するために三角食べをする、とか。

さらに、「残すと生産者や給食の調理員さんに申し訳ないでしょ」という価値観もありますよね。

いろいろなことを考えると、なかなか指導が一貫しなくなってしまう。だから、一面的な指導をしがちです。

だからこそ考えたいです。

あなたは、一面的な指導ばかりをしていませんか?

蒙古タンメン中本にとある苦情が入りました(フィクションです)

皆さんは蒙古タンメン中本をご存知ですか?

激辛ラーメンのお店です。

これはフィクションですが、わかりやすいので中本さんを例に話したいと思います(中本さん、もし問題があるなら削除するので教えてください)。

ある日、電話で苦情がありました。

「あんたのところのラーメン、辛すぎてまずい! もっと辛くなくて甘い感じのラーメンを出してくれ!」

この苦情、どう思いますか?

おかしいですよね。なぜなら、中本さんは激辛ラーメンのお店なんだから、「辛すぎる!」という苦情は的外れなわけです。

では、もしその苦情を真に受けて、「蒙古激あまラーメン」を作ったらどうなるでしょうか? だれも喜びませんね。

つまり、良さを裏返せば悪さになるし、とある人にとっては悪いことも、他の人にとっては良いことだってあるのです。

だから、人には良い面と悪い面があり、それはトレードオフ、表裏一体なのです。いいも悪いもないんです。

だから、教師である私達は、物事の一面だけをみて指導するのではなく、その裏にある良い面を常に意識して指導していくことで、子どもたちにも、「多面的・多角的なものの見方や考え方」が備わっていくと考えます。

足が遅いということは、同じように足が遅い子の気持ちを察することができますよね。足がもとから速い子にとって、足が遅い子が普段どんな思いをしているかなんて想像もしないはずです。

友達に優しい人は、友達が悪いことをしているときに「悪いことをしないで」と忠告できないかもしれません。悪いことを注意することで、友達を傷つけてしまうことを恐れるかもしれません。

給食を早く食べられる子は、余ってしまった給食を残さず食べてくれるかもしれません。無駄にならずに済むわけです。

勉強が苦手な子は、同じように勉強が苦手な子がどこがわからないのか、考えることができるかもしれません。将来、人に教えるのが上手になるかもしれませんね。

それぞれ、良い面もあるし悪い面もある。

物事をみる視点と立場が違うと、その解釈の仕方も変わるということなんです。

だから大切なことは、「物事は一面だけで価値が決まるわけじゃない」ということを、折に触れてクラスの子に伝えるということです。

「足が遅いかもしれないけど、昆虫のこととっても詳しいんだよ」とか、「発表はあまりしないけど、友達思いなところがあるんだよ」など、多様な価値観があることが理解できると、いじめられたり、蔑まされたりする子が少しでも減るんじゃないかとわたしは思うのです。

ぜひ若手のあなたにも、「多様な価値観」を意識して指導にあたってみてください。


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